ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(58)新宮駅へ。

速玉大社に真っすぐ伸びる道は、昔の参詣道のようだ。この道路の奥に大社が鎮座している。

f:id:commodore:20211018205731j:plain

 

周辺は住宅地で、落ち着いた雰囲気だが、こんな昔風の漢方薬店もある。

f:id:commodore:20211018205814j:plain

 

市内バスの路線図。昼の時間、バスは疎らだ。

f:id:commodore:20211018205854j:plain

 

バスに乗って5分程、新宮駅にやってきた。昔風のワンパターンの駅ビルだ。

f:id:commodore:20211018210023j:plain

 

後で分かったことだが、速玉大社から新宮駅までは歩いて15分程度。自分の足でもゆっくり歩いて20分程度、とのことはバスに乗って駅まで行った時に理解できた。スマホで地図検索すれば容易に分かることだが、何故かスマホを取り出して、小さい画面で検索するのが惑わしく、そのままバスを待った。田舎のバスで利用者も少なく、30分も待たされることになったが、まあ、待つことは自分自身の骨休みにもなる。願わくば、バス停の前にベンチでもあれば大感謝するのだが、それは欲張り過ぎだ。

 

この周辺は落ち着いた住宅地で、この町の中流以上の家族が住んでいるようだ。佐藤春夫もこの辺りのどこかで生まれ育ったのだろうか・・。後年慶応大学に進学するが、鉄道が開通していなかった当時、上京するのも大変なことだっただろう。バス停の前に紀陽銀行の支店があり、土曜日なのに裏の駐車場に車を停め、行内のATMでお金を下ろして出て行くかなり頻繁な人々を見ている内にバスはやってきた。駅までは2停留所。5分程度だった。矢張りこれが最初から分かっていたら、長い間待つこともなかった。

 

新宮駅は、嘗ての地方中堅都市の同じようなタイプの2階建てコンクリ造りの駅ビルで、多分ワンパターンの設計だろう。今はもうどこも近代的な駅ビルに建て替えられているが、ここ新宮はそのRenewalの波から取り残されたような感じだ。確か40年前の和歌山駅も、規模の大きさは異なるが、こんな感じのコンクリートの2階か3階建てのビルだった。紀勢本線が和歌山から三重の亀山まで全面開通したのは昭和30年代で、その時造られた駅ビルはもう既に60年は経っている。南紀では中心の駅で、和歌山からはここまではJR西日本が管理し、ここから東の線路はJR東海が管理し、上手に棲み分けられている。折から丁度京都駅からの直通特急が到着する処。熊野三山の古典的な衣装を纏った地元観光協会の美人のモデルさんが、遥々京都からやってきた観光客を歓迎していた。

 

丁度これから京都からに観光客がやってくるとのこと。

f:id:commodore:20211018210140j:plain

 

観光協会のモデルさんが、昔の衣装を着て、歓迎する。

f:id:commodore:20211018210233j:plain

 

京都からの特急がやってきた。

f:id:commodore:20211018210321j:plain

 

このコロナ禍で、町の人にとっては、喜ばしい、待ちに待ったお客さんだ。

f:id:commodore:20211018210404j:plain