ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(85)全国鈴木家総本家の藤白神社に参拝。

この鳥居に続く道は1000年前の熊野古道そのままの道だ。

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  • 社務所には鈴木姓に関連する展示品で溢れている。

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お巫女さんが不在で、社務所の中に入ることは出来なかったが、中にはいろいろと鈴木関連の品々が置いてあった。

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和歌山県海南市にある藤白神社。知られているようでいて、意外と知られていない事実。全国鈴木家の総本家がここ藤白神社であるということ。鈴木さん自身が案外知っていない。苗字の中で鈴木が一番多いのかどうかは知らないが、田中、佐藤等と並んで、全国1-2を争うだろう。その全国有数の家名鈴木家は、すべてこの神社を発祥とする。全国津々浦々に散在する鈴木家もそのルーツを辿って行けば、必ずやこの神社に辿り着く。もし途中で別の方向に進んで行ったとすれば、その鈴木家はモグリだ。

今回の紀の国訪問でこの神社を選んだのは幾つかの理由があった。その一つは、今回の旅行直前に隣家の鈴木さんが91歳で亡くなったことであり、その鈴木家のルーツ、この藤白神社に参拝し、御霊を弔うことだった。それとわが敬愛すべき推理小説家の内田康夫が3年程前、新作「熊野古道」を新聞連載でスタートした直後、これも又84歳で急死したことであり、彼は当然連載直前にこの神社を訪問したであろうし、彼がここへ来て何を思い、如何に今後の展開を構想したのだろうか、境内に立ち、そのイメージを感じ取りたかった。自分が知る限り、内田康夫が新聞連載と言う形で新作を発表したのは、これが初めてではなかったかと思う。何が彼をそうさせたのか、死んだ今となっては聞きただすことも出来ない。40年程前に新田次郎が「サウダーデ」を連載中に急死した事情と似ている。

更に付け加えるとすれば、戦前の知の巨人、粘菌学者の南方熊楠がこの神社の氏子であり、彼の名前熊楠はこの神社に生えている巨木、熊野の楠の木から取られたものであり、この神社との縁が深いものだった。不思議な因縁の深い神社である。

住宅地からやや上り坂になって鳥居に向かう道は、1000年前の熊野古道そのままだ。境内に入り、左手に社務所があり、その社務所長屋門を入った先に社がある。社務所も社も無人だ。お巫女さんも居ないし、宮司もいない。無人の神社ではない筈だが、このコロナ禍で参詣する人も僅少になり、鈴木家の自宅で休んでいるのかも知れない。神社は普通の規模の神社で、広大でもなく華美でもなく、高台の中腹に静かに佇んでいた。ただ一つだけ目を惹くものがあり、それは鈴木姓に纏わる展示、案内、広告等である。鈴木イチロー、鈴木元総理、Suzuki自動車、鈴木元NHKアナウンサー、等々鈴木と名の付く全国有名人が、この神社に参詣してきている。何年か置きには全国鈴木さんが集まって、「大鈴木会」が開催されているようだ。鈴木さんは皆一族郎党。今はすごい大河になっている。

 

境内の奥に建物があるが、古道に関連する建物のようだ。

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  • ああ、知の巨人、南方熊楠の名前の謂れ、熊野の大楠が自生している。

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  • 後年、熊楠はこの巨木と同じように、巨人となった。

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    高台から眼下の街並みを見る。古代には海がこの直ぐ下まで迫ってきていた。

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