藤白神社から一段下がった場所に鈴木屋敷跡がある。
目分量で、500坪~1000坪はありそうなかなり広い敷地だ。
屋敷跡に併設されていた庭園跡だ。
藤白神社の一段下に旧鈴木屋敷の跡地がある。かなり広い敷地で、神社とはほぼ接している。神社の今の神主の名前が誰かは知らないが、多分、鈴木さんとは思うのだが、この神社の神主は代々鈴木姓である。創建は不詳であるが、景行天皇の頃に遡り、斉明天皇行幸の際に社殿が造られたとの言い伝えがある。古い歴史のある神社だ。今は鈴木さんはポピュラーな苗字で、右を向いても左を見ても鈴木さんがいないことはないが、嘗てのここ藤白鈴木は、熊野三党と言われ、鈴木氏はこの地方の有力な部族であった。
かなり広い敷地で、目測では計りかねるが、凡そ500坪からひょっとして1000坪はあるかも知れない。熊野一党の頭目の屋敷に相応しい広さだ。敷地の中には記念碑、記念物のようなものはなく、解説の案内板が立っているだけだ。矢張り特殊な神社で、鈴木姓に所縁のある人とか、熊野古道に関心を持っている人以外、遠方からわざわざこの神社までやって来る人はいないのかも知れない。
熊野古道、と墨書された大提灯の道を辿って、海南駅に戻ることにした。もう少し時間があれば、この古道を辿って、藤白山位までは登ってみたかったが、足の具合も十分ではなく、今日のスケジュールもかなりタイトだ。住宅地の中の車1台が通れる程の狭い道をやや下って行くと、先刻来る時に見た古道の分岐交差点に出る。一口に古道と言っても、九九王子社を巡るコースがあって、幾つかのバラエティーがあるようだ。内田康夫の「熊野古道」は、確か藤白神社を出た先の林道の中で最初の殺人事件が発生した。後ろの山を見上げ、どの辺りだろうか、と想像した。
屋敷の前には熊野古道の大きな提灯が下がっていた。
千年の昔から人々はこの路を辿り、熊野三山を目指した。
どの山が藤白山だろう・・。
先刻の三叉路へ再び戻って来た。