ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(87)海南駅前で昼食後、和歌山市へ。

昔の村道熊野古道を舗装したような狭い道路を下り、国道に出る。

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JR紀勢線高架下の国道に、和歌の石碑があった。この辺りは昔は名高と呼ばれていたようだ。

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海南駅前に東京方面行の長距離バス停があった。1日4本も出ている。需要が高いのか・・。

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一方で市内循環バス。これも又1日5本しか出ていない。

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昔の村道熊野古道をそのままアスファルトにしたような集落の道を下って、漸く高架下の国道に戻って来た。ここからも駅まではまだ10分以上は歩く。今の自分の足では20分はかかるかも知れない。ただ平坦道だから、ゆっくり時間を掛けて歩いて行けば、駅には着ける。途中の石碑に和歌が刻まれていた。万葉人の和歌ではなく現代歌人の和歌だ。「紀伊の海 名高の海に寄する波・・」とある。今は海南市と呼ばれるこの辺りは、嘗ては名高と呼ばれていたようだ。嘗てはこの辺りまで海だったのだろう。今は車の通行は頻繁にあるが、歩行者は殆ど見かけない。嘗ても海の海女はいたかも知れないが、この路を歩く人は今同様、数は少なかったに違いない。

 

高架下の道路は海南駅前の広場に出る。広々とした、随分綺麗に整備された駅前で、綺麗すぎて却って人工的過ぎる。どこかで既視感のある箱庭的な情景。人口減少の日本の地方駅で、これ程大きな駅前は必要ないだろうし、バスストップのスペースも十分すぎる程取られているが、現実に運行されているバス路線は2-3路線に過ぎないだろう。この駅前コンセプトは中国かどこかの国の様に人口が倍々ゲームで増えていき、路線も毎年増えて、10年後には駅前が人と車で溢れる状態を想定したかの様だが、現実は人口は年々減少し、この広大な駅前スペースが20年後にはゴーストタウン化しないことを危惧する。

 

市内循環バスや近郊との連絡バスが何路線あるかは知らないが、駅前の目立つ所に、横浜東京大宮行きの長距離バス乗り場あった。ここから電車で大阪に出て、更に新幹線で東京方面に行くよりは、バス1本で行った方が経済的で、乗り換えも無く、楽なのかも知れない。夜行便を入れて1日に5本も往復していた。それなりの需要があるのだろう。

 

雑多な感じの駅前と違って、食堂の看板もパチンコ屋の看板も、学習塾の案内も見えない。藤白神社への往復で思ったり時間が掛かってしまった。時刻はもうお昼になっている。駅の案内へ行き食堂を聞いた処、広場の先のマンションの手前に1軒だけあるという。取り敢えずはそこでお昼を食べ、電車で和歌山へ出た。普通電車でも15分程度だ。東京駅―新宿駅程もないだろう。さて、残すところ後半日。午後は和歌山城紀三井寺と回り、可能であれば根来寺まで足を延ばしたいが・・・。

 

バスストップのスペースは広々と取ってあるが、肝心のバス路線がない・・

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駅前に1軒しかない食堂は、このマンションの向かいとのことだ。

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海南駅前食堂で、お昼のランチを食べる。

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海南からは電車で15分、和歌山駅にやってきた。

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