ちゃおチャオブログ

日々の連続

紀の国訪問記(89)和歌山城を登る。

コロナ禍で手入れは余り良くないが、鋭角の素晴らしい石組みだ。

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かなり広いお城で歩くのも大変だ。コロナのない観光シーズンには駕籠かきのサービスもあるようだ。

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  • 旧二の丸か侍詰め所のような場所に出る。

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その直ぐ上が平地になっていて、眼下のお堀と市街地、更にその先の高野山系まで見渡せる。

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日本100名城。殆どのお城でその石垣の堅牢さ、優美さを誇っている。城は人、城は石垣、なのだが、長篠の戦いで人を失った武田軍は、甲府の館を捨てて、七曲に新城を慌てて造営したが、そこには立派な石垣もなく、信長軍の猛攻に僅か2日で落城した。城は人で持ち、石垣で持っている言いだ。この和歌山城も石垣を誇っている。日本の石工の技術、文化はこの戦国時代に最高潮に達し、以後は衰退していく。木の文化に先祖帰りしたのだ。日本にMasonryは根付かなかった。

日本100名城。その幾城を回ったのかは定かな数字はないが、国内の主たる城郭は大半見てきている。まだ尚訪問していない城は、会津若松城とここ和歌山城、それに安土城筑前名護屋城位か・・。100名城の中に入っている吉野ヶ里も随分以前に訪問したし、平地にある佐賀城などはもう殆どが平地、原っぱだった。今日はこの和歌山城を初めて訪問する。

これから本丸に登ろうとする直前の角にこのお城の石垣の美観についての解説パネルがあった。ひょいと見上げると、確かに隅櫓の石垣は切り立っていて、鋭角に立ち上がっている。この角度では攻城軍も石垣をよじ登って櫓に到達するのは至難の技だろう。熊本城や伊賀上野城の整った石垣のシェープが思い出される。歩き易いように整地された登城路を登って行くと、元の二の丸のような郭跡にでる。二重三重に石組みがしてあり、本丸への最後の防波堤だ。その直ぐ上が細長い平地になっていて、見晴らし台のようになっている。眼下のお堀の先に市街が広がり、更にその先には高野山系の山並みも見える。嘗てはこの辺り何等かの四阿があったに違いない。お殿様が美妃を従え、花見の宴を張るには相応しい場所だ。

 

市役所、県庁のある方向だ。和歌山は人口35万程だが、中々見栄えは大きい。

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城内には何かの施設、動物園のようなものもある。

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  • 本丸への登り道はまだまだ続く。

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    ああ、又何かの解説が出ている。「七福の庭」・・七福か・・

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