ちゃおチャオブログ

日々の連続

薩摩・大隅の旅(11)鶴丸城址を通り抜け照国神社へ。

鶴丸城址の敷地内には戦没医学生の碑もあった。
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お城の並び、照国神社との間の緑地帯には、明治の元勲の銅像なども建っている。
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後ろの山をバックに島津のお殿様も明治になって名誉軍人となった。
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ああ、島津久光公だ。斉彬とは確執があったと言われるが・・
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島津斉彬公。英明の誉れ高い。
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写真の顔とはちょっと違うようだが、銅像にするとこんないかめしい感じになるのか・・
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九州には多くの名城がある。その筆頭は熊本城であり、黒田50万石の福岡城、それに転封前の細川小倉城。小さなお城でも2万石の秋月城、荒城の月の岡城、小村寿太郎飫肥城、等々数え上げれば切りがない。当方過去これ等のお城の大半は訪問しているが、ここ薩摩の鶴丸城は今回が初めてだ。お堀の石垣しか残っていない名城とは言い難いお城で、魅力の乏しいもので、それでパスしていたのかも知れないが、それでもここは日本100名城に選ばれている。お城の魅力というよりかは、歴史的価値に重みを置かれたことかも知れない。

当方がよくハイキングに行く八王子城址も日本100名城の一つで、時々お城巡りのツアー客に遭遇したりするが、この城も最近では随分と整備が進み見栄えも良くなってきたが、それ以前は原野の中にあるような遺構で、石垣も定かでなく、それでもここが100名城に選ばれた背景には北条小田原城の支城という位置づけと、その険峻な山城にあった。そんな何もない山城でもお城巡りのツアー客は嬉々として記録帳に記念のスタンプを押していた。そんな八王子の山城と比べたら、こちらの鶴丸城址の方がまだマシかも知れないが・・。

元よりここは敵からの防衛上の城ではなく、薩摩のお殿様のお館、御座所に過ぎないのだから、本丸もなければ一の丸、二の丸などもない。鶴丸城という平地があるだけで、今はそこに黎明館という資料館や県立図書館が建っているが、その平地を横切るように照国神社に向かう。敷地内には立派な顔立ちの天璋院銅像が建っていたが、これは何年か前NHK大河ドラマで放映されて以降にその記念として設置されたもので、それ以前に設置されたものとしては、戦没医学生銅像もあった。鹿児島は沖縄と違って現実には戦場にはならなかったが、多くの医学生が戦地に駆り出されたのだろう。

お城を出た隣が照国神社の延長のような緑地帯になっていて、そこには明治の元勲、島津久光公と斉彬公二人の銅像が城山を背に高々と建っていた。近代日本を作り上げたという薩摩人の誇りがそこに凝縮されているようだった。西郷の乱は一人私兵の氾濫であり、国政や反体制を揺るがすものではなかった。そんな主張をしているようにも見えた。尤もこの二人は明治が開幕する以前に没してはいたのだが。

その斉彬公を顕彰するために、ここ照国神社が創建された。それは明治御一新以前のことで、幕末当時の薩摩藩の財政力を感じさせるものがあった。この後訪問する予定になっている薩摩集成館を始めとする殖産興業、琉球を通しての裏貿易、等々で富を蓄積し、260年続いた徳川幕藩体制をひっくり返す、大きな原動力になった。その元を作ったというか、集大成をしたというのが斉彬公で、その開明な藩主を祀るに相応しい立派な神社であった。



台座には数々の事績が刻されている。
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緑地には古い社なども残っている。
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斉彬公を祀る照国神社だ。
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丸に十の字。薩摩の旗印だ。
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すっきりとした、楚々とした感じの神社だ。
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槙の木の見事な枝ぶり。
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