ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(11)展望タワーから眺める五稜郭。

函館山から目を転じ、改めて五稜郭を見る。

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100mの上空からはお城の全体が一望できる。

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お城はくっきりと5つの稜線で区切られている。

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ここからは山も近い。

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人間も歳を取ると記憶があいまいになってしまって、何が正しいか、何が間違っているかの記憶も曖昧になる。五稜郭は、この展望タワーが出来る以前に一度来ていて、城郭内の見学はしたのだが、それが20年前の事だったのか、45年前のことだったのか、定かな記憶はない。多分45年前、青函連絡船でやってきた妻を港で迎えたその日に来たのが正しいと思う。20年前は仕事でやってきて、観光遊山は憚れた。あの時は確かトラピスト修道院函館山までドライブしてもらっただけだった。

 

五稜郭を45年ぶりに見る。それも100m上空の展望タワーからだ。お城の菱形の構造が良く見える。徳川最後の将軍、第15代慶喜公が大政奉還し、江戸城無血開城が行われた明治元年、幕府存続を願う幕臣の一部が榎本武揚の指揮下、江戸からこの地函館まで落ち延び、北海道に新たな新天地を作るべく、ここ五稜郭を拠点として新政府軍への戦いを挑んだ。幕軍、新政府軍との最後の戦い、函館戦争である。

 

幕末、当時の日本は混乱の中にあった。日本が藩幕体制を維持する佐幕派と、公武合体、倒幕を目指す諸藩との間で争いは絶えず、英国は薩長に味方し、フランスは幕府を加勢した。幕末、そうしたフランス陸軍の技術援助により築城されたのが、ここ五稜郭で、従来の本丸・天守閣を中心とする日本式お城から、ここは日本で初めて西洋式のお城として築城されたのだ。名前の通り、5つ星のような稜を持っていて、城を取り巻く石垣が、他方の石垣上から監視、攻撃することが出来、防衛上優れた特性を持っていた。

 

5つ星、五芒星、或いは六芒星ダビデの星。西洋では五芒星は古くから記号として使用され、悪魔除け、強いものの象徴でもあった。六芒星は今やユダヤの象徴ともされている。ここは四稜郭でもないし六稜郭でもない。フリーメーソンのシンボルともなっている五稜郭なのだ。100mの上空からくっきりと区切られた5つの稜線をみて、矢張りそう思う。

 

日本で最初の欧州式城郭だ。

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大砲を撃ち合う時代に於いては、天守閣などもう無用の長物だ。

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五稜郭のヒーロー、土方歳三の座像がタワー展望室に置かれていた。

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ここからトラピスチヌ修道院が見えそうで見えない。

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