ちゃおチャオブログ

日々の連続

函館の三日間(15)樺太引き上げ記念碑を見て、ホテルにチェックイン。

函館駅からホテルへの途中、小さな遊歩道、プロムナードがあり、そこに「樺太引揚者の碑」があった。

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引揚に至った経緯、石碑の説明、等々、当時の苦難の模様が解説されていた。引き上げは昭和21年12月、終戦の半年後から始まり、合計31万人以上が樺太から引き揚げてきた。しかし、その間、1000人を超える人々が病没した。

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ホテルはこの碑から直ぐ近くにある。

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国際観光ホテル。良い名前のホテルだ。

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トラピスト修道院トラピスチヌ修道院は似た名前であるが、別個の修道院である。ここトラピスチヌ修道院は男子禁制の女子修道院であり、トラピスト修道院は反対に女子禁制の男子修道院となっている。場所は函館の隣町、北斗市に所在している。北斗市北海道新幹線北斗駅のある所で、東京上野からの新幹線は、青函トンネルを潜ってこの駅が終点になっている。ここ先、更に札幌までの延伸が計画されているが、完成はいつになるのか自分には分からない。

 

この女子修道院も男子修道院も同じ「厳律シトー会」の傘下にあり、元々はフランス系カトリック司祭により組織されたものであり、自分はフランス語は良くは分からないが、女性名詞が「トラピスチヌ」で男性名詞が「トラピスト」ではないかと思う。日本人には同じような名前でどちらがどちらか区別もできないが、フランス系の人に取っては、修道院の名前を聞いただけで、男女のその違いはわかるのだろう。札幌の新千歳や函館空港には、トラピストのお菓子やチーズバター等が土産で売られていると思うが、今度見たらこの違いを思い出そう。

 

最終バスまでの30分以上の間に、いろいろな事を考えさせられたが、自分を含め乗客二人ほどを乗せて、バスは函館駅に向かった。湯の川を通り、先刻の五稜郭タワーの前を通り、市の中心部に入って駅に到着した。コインロッカーからボストンバッグを取り出し、ホテルに向かった。今晩の宿は国際観光ホテル。名前から堂々としているが、駅付近から眺めた遠景も高層ビルで中々良さそうだ。海岸通りに近いプロムナードを歩いて行くと、途中に「樺太引揚者上陸記念碑」があった。日本がポツダム宣言受託後にソ連軍が不法にも樺太、千島に突然に侵入してきて、これ等の旧日本領土を違法に占拠し続け今に至るのだが、当時の敗戦国日本には押し返す武力も力も無く、人々はこれ等の居住地から着の身着のままで引き上げざるを得なかった。その時の引き上げ地がここ函館港だった。

 

樺太引揚に関し殆ど知識のない自分は、樺太からの引き上げは一番近い港、稚内港に着いたのかと思っていたが、北海道をぐるっと半周し、ここ函館までやって来たのだ。当時の日本は連合国の占領下にあり、日本の決定権は制限され、連合国の指示に従ったのかも知れない。30万人を越える引揚者。その身元確認なり、異分子や共産主義者の紛れ込み等々の確認調査は必要だったのかも知れない。遠回りしたせいかどうかは自分には分からないが、この引き上げに際し、船中死亡や、上陸後の亡没者が合計1000人を超えるとの案内板の記述は胸を痛める。折角日本を目前にして、或いは上陸して程なくし亡くなる。本人も家族も無念なことだっただろう。ホテルはここから数分だ。取り敢えずはチェックインしてから函館山に登ろう。

 

部屋はツインのシングル使用。まずまずの広さだ。

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バストイレも小奇麗だ。

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函館駅前には別の高層ホテルも建っている。

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函館山の方向だ。山の端が少し見えている。

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