ちゃおチャオブログ

日々の連続

5.26(木・晴れ)国会中継、予算委。書置き、遺書などはない。

 

 

朝からNHK国会中継、予算委。岸田の横綱相撲と野党の前頭。国会は紛糾もしないし、怒号も飛ばない。最初から勝負にはならない。自民岸田内閣の40%超支持率と、野党第一党、立民の5%強の支持率では、最初から勝負は決まっている。今夏の参院選、野党がゴタゴタしている間にマタマタ自公の圧勝か。

 

まあ、刷るだけ刷って下さい。赤字国債、既に1000兆円越えているのだから、ここで10兆、20兆、追加で刷っても、0.1%にもならない。今回追加で2‐3兆刷ることくらい、お手の物さいさいだ。今日も黒田、渋い顔をして参考人席に座っていたが、いつまで居続ける積りだ! 安倍も浜田も辞めた後、まだ抜け抜けと居座るなんて、良い根性だ。この冬には、泥沼に足を取られて、抜け出せないザマでも見てやりましょう。

 

30年前の御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故では、山に衝突するまでの約30分間、機はダッチロールをして空中を彷徨っていたが、そんな極限の恐怖の中でも、500数十人いた乗客の中には、手帳とかノートに懸命に書置きを残し、残された家族への愛の言葉、恐怖心、感謝の気持ちを残していた乗客が何人かいた。死の直前にあっても人間の崇高な気持ちを表現することが出来る、人は動物とは違う、確かな霊長類であるとの見本を見せられた。

今回の知床沈没事故、今日再び遊覧船が引き上げられて、明日には網走の岸壁に陸揚げされる。船が引き上げられ、隈なく捜索される筈だが、水没までの1時間以上、24人の乗客の中に、日航ジャンボ機の乗客のような人は多分誰もいなかっただろう。24人は船が水没していく恐怖は当然あったが、その怖さの比重は空の上の飛行機事故と比べたら、尚、少ない筈で、気持ちのどこかには、間も無く救助船がやってくる、との期待も持っていた筈だ。それに海岸線は目の前の数キロ先に見える。殆ど誰もが、このまま死んでしまう、とは思ってはいなかったに違いない。救助ベストも付けている。北の海の海水がこんなに冷たく、海に入ったら数分も持たない、などは、死んだ後に分かったことだ。

だが、救助船はやって来ず、ヘコプターも飛んでこない。浸水はじわじわ船を傾け、冷たい海水は足元まで迫って来る。その時初めて死の恐怖に襲われた。一か八かで海岸線に向かって飛び込みしかない。しかしその努力も空しかった。

今回の事故、事件の最大の問題点は、最初の救難通報から海難ヘリが現場に到着するまで、何故に2時間半もかかったかであり、それは政府もマスコミも専門家も口を噤んで誰も問題にしていない。本来は救助体制に問題があったのなら、それを正して行くのが、行政の役割なのだが、問題点を遊覧会社や船長の個人的な問題に矮小化している。今の日本のマスコミ報道は、どうであったら、人命を救えたか、の論点をずらして、お上に触らないようにしている風に見える。情けない。