右京鼻を見た後は、芦辺の町外れにある「はらほげ地蔵」に向かった。遠方に火力発電所の煙突が見える。
海際に6地蔵が陸地を向かって置かれていた。
次に向かったのは、はらほげから近くにある小島神社。今は満潮で、海上に浮かぶ鳥居しか見れなかった。
左京鼻を見た後は、島の東側を南下し、旧芦辺町の集落を通過する。人家の密集した港町で、ここからも又博多港とのフェリーが運航されている。芦辺は合併した4つの町の一つだが、町中を通る道路は狭く、観光バスが漸くすれ違える程の古い町並みだ。産業に乏しいこの島では、所得水準は低いのかも知れない。
この芦辺の町外れに、はらほげ地蔵がある。6体の地蔵が海際のテラスに半分海水に漬かりながら、陸地に向かって置かれている。この芦辺は嘗ては捕鯨が盛んで、又今でも、海女で有名な町だ。この地蔵像は何か海女が海から上がってくるようなイメージもある。ガイドの大島さんの話では、この地区では江戸時代からこの六地蔵を祀る風習があり、以前は別の場所にあったが、港の整備に際し、この場所に移転されたとのことだ。6体の地蔵は仏教の六道、即ち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の道を表して、「はらほげ」の意味は、お腹に穴があいている、「ほげている」方言から来ているとのことで、確かに地蔵像には胸の部分に穴があり、それは赤いよだれ掛を捲って見て、初めて分ったことだった。
このはらぼけ地蔵から程近い場所に小島神社があり、嘗ての江の島弁天や、フランスのモンシャンミシェルの島のように、干潮時にならないと島には渡れず、その僅かな干潮の時間帯に急いで島に渡ってお参りを済ます様だ。江の島もモンシャンミシェルも今では道路が出来ていて、干満に関わりなくいつでも参拝できるが、この小島では、参詣客も少なく、道路の建設はされることも無いだろう。今は丁度満潮時で、防波堤の所から数百m先の海上に浮かぶ小島の前に、赤い鳥居だけが、海の上に頭を出していた。余り冗談を言わない大島さんだが、この小島神社の話に及ぶと、小島のことを大島が開設している、と少し車内を沸かせた。小島神社を望遠した後、島のほぼ中央部にある原の辻遺跡に向かった。
防波堤の傍に咲いている花。
島の観光名所をプリントした壱岐交通の観光バス。
バスの横腹には小島神社の干潮時の鳥居の写真も貼られていた。