ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(19)港周辺を散歩し、「春一番の遭難碑」を見て、フェリーにて対馬へ。

ホテルオーシャンビューの横の八幡神社の奥は防波堤に区切られて、唐津海保壱岐支所がある。

 

神社の裏の丘は、頁岩が盛り上がって出来ている。

 

頁岩の丘、太古の時代に海中から隆起したのか・・。

 

躑躅かと思うが、島の花が咲いていた。

 

 

港近くのオーシャンビューホテルでの海鮮丼を昼食に頂き、これから対馬に向かうのだが、フェリーの出航までには1時間ほどある。それぞれはホテル周辺の港付近を散歩し、時間待ちをする。ホテルの直ぐ横の小高い丘の上には、「春一番の遭難碑」が建っているが、僅かばかりの石段だが、そこを上り下りするのも面倒で、下から丘の上を見上げる。が、下から見えるのは林の枝木だけで、肝心の石碑は見えない。丘の下の八幡神社の横にも同様の慰霊碑が建っていて、「春一番」の謂れが彫られている。

 

今は全国各地で、春先になると「春一番」はいつか、とか「春一番」が今日吹いた、など一般的な気象用語として使われているが、江戸時代の昔にはこの壱岐以外にはこういう言葉はなかった。壱岐では春先に吹く強い風を昔から「春一番」と呼んでいた。幕末安政年間の旧暦2月、強風がこの島を襲い、多くの漁船が巻き込まれて沈没した。碑によれば、その時の犠牲者は53人だったといわれる。この惨事以降、春先に吹く強風を「春一番」と言うように、全国的に広まったとのことである。「春一番」は実に壱岐発祥の言葉である。

 

次にこの神社の横、丘の上に「春一番の記念碑」がある小さな丘だが、その丘の土台部分には頁岩が横になって露出している。自分の不十分な知識では、太古、朝鮮半島と日本列島は陸地で繋がっていて、その後、水没して日本海が出来、海峡が出来、対馬壱岐の島が出来たと。日本がまだ半島と繋がっている頃、大陸から移動してきたナウマンゾウが列島に取り残され、日本独自の進化を遂げたと。ナウマンゾウの化石は今でも日本各地の他の古い地層の中から発見されている。

 

その日本海なり海峡は太古の時代、何回か水没したり、隆起したりを繰り返し、現状の地形が形作られたのは今から数万年前と言われる。この露出している頁岩、取りも直さず海中の泥土が固まって岩石になったものだ。それが今こうして海中から隆起して地表に姿を現している。即ちここ壱岐島は、以前は水面下だったのが、何時の頃か隆起して今のような島を形作ったのか・・。火山のないこの島で、昨日は温泉に入った。温泉が湧き出る事情は、去年旅行した和歌山と同じ背景があるのだろうか・・。

 

さて、そろそろ時間が来て、全員ターミナルに移動し、ビルのエレベーターで4階まで上がり、4階タラップでフェリーに乗船する。外洋を走るフェリーだけあってかなり大型だ。後で、船員に聞いてみると1800トンあるという。12時半、古風なジャランジャランという銅鑼の音でフェリーは郷ノ浦埠頭を離れ、一路對馬、厳原に向かった。

 

出航時間になって、郷ノ浦フェリーターミナルにやって来た。

 

フェリーターミナル4階からタラップで乗船する。

 

12時半、郷ノ浦を出航する。

 

思い出に残る島だった。