ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(40)対馬・玄海の空中散歩。

離陸すると直ぐにも眼下に対馬浅茅湾が見えてきた。

 

緑多い島影だ。

 

本当に自然豊かな島だ。

 

このすべてが無人島。人跡未踏の島と言ってもよい。

 

対馬空港から福岡までは約100キロ。離陸したら30分程で着陸する。ほんのひとっ飛びだ。飛び立つと同時に眼下の島が見える。浅茅湾の島影だ。今朝烏帽子岳展望台から眺めた多島海を今は空中から見ている。プロペラ機はジェット機よりもスピードが遅く、高度も低いので、島の形が良く見える。島数は数えられない程多数で、九十九島よりも沢山あるだろう。その殆どが無人島。贅沢な景色だ。四国とか広島へ行った折り、何回か瀬戸内上空を飛んだこともあったが、これ程身近に見ることはなかったし、それも一瞬で過ぎ去った。今日はヘリコプター程ではないにしても、ゆっくりと眼下の景色を眺めることができた。

 

僅か30分の飛行だから機内サービスもない。機内コーヒーの代わりに持ち込みのビールをちびちび飲みながら眼下の景色を楽しむ。暫く対馬上空からの多島海の景色を楽しみ、次に壱岐の島が見えるかと期待したが、窓の場所が反対側だったのか、島影は全く見えず、対馬を置き去りにして海上に出て、ほんの直ぐにも又島影が見える。九州佐賀の島だ。江戸時代、対馬は公表10万石の国であり、一方の壱岐平戸藩の藩領であったが、明治の廃藩置県に際しては、一時は佐賀県伊万里県)に属したものの、直ぐに長崎県に組み入れられ現在に至っている。明治の頃の海上交通はこの二つの島からは佐賀県長崎県が至近の場所だったが、フェリーや航空の発達した現代では、むしろ福岡の方が身近になっている。昨日の壱岐のバスガイド大島さんも一時期福岡で仕事をし、数年前に結婚を機に島に戻って来た、とのことだった。進学や就職で島を出るにしても、佐賀や名が先よりは福岡が圧倒的に多いだろう。

 

今眼下に見える島影は玄海呼子のん戦が海だ。この島影のどこかに松浦があり、鷹島もある筈だ。壱岐を制圧した元寇が一気にこの島を目指したが、松浦群に返り討ちに遭い、この島の周辺で多くの艦船が沈没させられ、今でも時々はその残骸、海中残影がニュースになったりする。壱岐と松浦、平戸はそれ程近い距離だったのだ。そう言えばこの平戸の在の貧しい集落に、嘗ての大阪地検特捜のエースとも言われた田中森一の生家があった。そこも又船越という地名だった。検察で華々しい活躍をしたが、ある事件で挫折し、後ヤメ検となって、現職以上の大活躍をし、結果お縄頂戴となった。唐津までは来たことはあったが、平戸にしても伊万里にしても呼子も来たことは無かった。玄海の海岸線を見ていたら、その直ぐ先に虹の松原が見えてきた。

 

10数分の対馬遊覧。

 

良い遊覧飛行だった。

 

海上をひとっ飛び、早くも玄海の海だ。平戸の沖合か・・。

 

あれれ、ちょっと待って・・、大きな島と町。壱岐の郷ノ浦ではないと思うが・・。どこの港か??