ちゃおチャオブログ

日々の連続

壱岐・対馬2島巡り(37)厳原に戻り、最後の昼食。

万関橋からは国道を南下し、厳原市内に戻り、トーヨコインの裏の住宅地で下車する。前方にホテルが見える。

 

最後の昼食は住宅地の中にある料理店。

 

色々島の名物、料理のメニューが並ぶ。

 

最後の昼食は穴子天丼。

 

 

ほぼ150m程の万関橋を歩いて渡り、ほぼ100m下の掘削運河を眺め、台風が通り過ぎた後の澄んだ対馬海峡の水の青さに打たれ、明治の日本人の偉大さを改めて感じた。こうした日本人が国を開き、国を作り、戦争にも勝って行った。が、悪しき慣行、日本社会にはびこる前例踏襲、上位下達、成績主義と軍隊内官僚志向の全体主義は日本の勢いを徐々に削いでいき、思いもよらぬ方向に動かし、誰も止めることのできなかった日米開戦に突き進み、国を滅ぼした。「聞けワタツミの声」には多くの学徒将校はこれから死地に向かうさ中にあっても、日本の敗戦後の再生を願い、死んで行った。若くして死んで行った学徒の願い通り、日本は国家存亡の淵から見事に立ち直り、GDP世界第2位の大国にまで発展したが、今また戦前の悪しき慣行のるつぼの中に閉じ込められつつある。イーロンマスクの言う通り、この先の日本は地上から消滅していくのか・・。

 

ツアー3日目の今日は、最初に和多都美神社に参拝し、その裏山の烏帽子岳展望台から浅茅湾多島海を眺め、最後にこの万関橋を渡り、後は厳原市内に戻って昼食を摂る。それで今回の一連のツアーは終了となる。やや中途半端なスケジュールで、島の北端、比田勝や韓国展望台まで行くことは出来なかったが、やむを得ない。運転免許を返納し、レンタカーを借りて一人で旅行できる状況にはないので、こうしたツアーに参加して、満足する以外にないのだ。今思うと、免許返納は少し早とちりだったか・・。旅行のことまでは考えていなかった。

 

壱岐と比べたら、山がちの対馬を縦に縦断する国道を南下し、昨日泊ったトーヨコインの前を通り、その先の住宅地で下車する。この辺りは昔の江戸時代の城下町をそれとなく残している。沖縄風の背の高い石垣に囲まれた住宅が多い。高位の家臣団、上士の住まいが敷地をそのまま残して現代に引き継がれているような佇まいだ。その住宅地の一本入った路地に下町風の料理屋があった。ここで最後の昼食、穴子天丼を頂くことになった。ここでも又生きの良い刺身が出て、ビールを飲みたくもなったが、止めて置く。刺身だからビール、という条件反射は自制しなければ・・。

 

刺身が美味しかったが、ビールはぐっとこらえる。

 

昼食後は住宅地を通り、バスに戻る。風雨除けの石垣が立派だ。

 

昔風の細い路地が続く。

 

掘割のような小さな川は城下町風だ。