ちゃおチャオブログ

日々の連続

9.8(木・曇り)同じ匂いの無責任。国会国葬儀中継、国政の私物化。



 

昨日の静岡牧之原保育園での園長(理事長)記者会見。4月、知床で遭難した観光船社長の記者会見とダブって見えた。70年配の高齢者。社長だったり、理事長だったら、社会的には成功した部類の人間なのだろう。長い人生の中で、多少の荒波はあったとしても、第三者から見たらよい人生を歩んで来たと見えるだろう。

その二人は似たような雰囲気の、危機感の全く感じられない、凡庸至極の老人だ。自身の浅墓な判断で、春先の荒れた北洋の海に出航させた社長の会見は殆ど会見を成していなかった。自分が通院の為に事務所を離れたのどうのこうのと、危険な荒海に出航させたとする運行管理者の責任感は微塵もなかった。

昨日の理事長も同じだった。3才の園児を救うべき4つも5つもあるチェックが全く行われておらず、園長・理事長としての組織運営の無責任体質。そもそも本来の運転手が当日朝無断欠勤で連絡も取れず、代わりの運転手も見つからず、70過ぎの高齢理事長が自分で運転することになったという。であればこそ、運転はより慎重で、園児に対する扱いもより細心になるべき処、そうした配慮は全く欠けていた。突発休で、代用もいない。組織を成していない。

昨日も書いたが、僅か6人だ。6人の園児が一人でも欠けていれば、数えなくても直ぐに分かる筈だが、この理事長も同乗した補助員の先生も全く気が付かなかった。信じられない。全く杜撰極まりない。そのくせバスにはきっちり施錠して、後から園児が出てくるのを妨げた。自分などここ何十年、自転車にはカギを掛けたことはないし、自宅も昼間の外出は無施錠だ。

何かが狂っている。傍から見て成功者と思われている老人の幼稚化。考える力を無くし、その場に流され、危機感の欠如。人の命を預かっているという重大な意味を認識していない。そんな大人、高齢者が増えてきて、日本はいよいよダメな国になっていく。

バスに残された水筒が空っぽだったいう。悲しくてならない。炎天下の中、どんなに苦しんだか・・。

 

午後から衆参両院議運委での閉会中審査。NHKがきっちり放映。国家の行事である国葬問題。今日の放映で分かったのは、この重大な国家行事が一、総理の一存で決められ、閣議で決定されたとのこと。閣議決定で重要な国家の方針を糸も簡単に方向づけしていた安倍元総理を踏襲したのだ。故安倍はこの点でも悪しき慣行を作った。国会に諮らず、何でもかでも閣議で決定してしまう。即ち、行政の私物化だ。予備費10兆円の枠内で、好き勝手が出来るということだ。予備費にしても、総理機密費、官房機密費にしても、もっとオープンにしなければならない。一時的なブラックボックスであったとしても、5年後、10年後、或いは30年後には、全て公開すべきだ。でないと、時の総理が私服を肥やしても、国民は全く蚊帳の外になる。

岸田氏もバカな決定をしたものだ。国民はお灸をすえなければならない。