ちゃおチャオブログ

日々の連続

宮古の4日間(15)宮古の街歩き。

ネギさん、稲さんは、ドイツ館展示室に随分満足したようだ。

 

  • ホテルに戻ってから二人は又今晩も飲みに出かけたが、自分は開けることにして、近くの飲食街に食堂を探しに出かける。

この時間、飲み屋もまだ開いてなく、食堂らしき店も見えない。

 

飲み屋街にはどうもレストランはなさそうだ。

 

上野村ドイツ文化村の入り口近くのベンチで待っていると、大分時間が経ってから二人が戻って来た。館内の展示物に感動したようで、館内を子細に見て回ったそうだ。この宮古の地で、改めてドイツの文化、歴史、この島との係わりを勉強するのも良い事で、ここにドイツ館が出来た目的にも適っている。午後も4時過ぎ、取り敢えずは一旦ホテルに戻ることにした。

島自体は小さなもので、地元の人も言っていたが、一周するのも1時間あれば十分な程度の大きさで、このドイツ文化村からホテルまでは30分も掛からなかった。ホテルに車を停め、二人は又今晩も飲みに行くという。自分は昨夜のバスタブ閉じ込め事件もあったし、健康の事も考え、今晩はパスすることにした。酒豪の二人に付き合っていたら、身体が幾つあっても持たない。

部屋で一休みし、どこか夕食に出ることにした。昼間行った公設市場辺りまで行けば何軒か食堂はあるだろうが、そこまで行くのも疲れている。昨夜飲んだ飲み屋街にもどこかに食堂はあるだろうと、昨夜の裏通りを歩く。宮古は日本の西の外れにあり、日没は東京よりは1時間程も遅い。1月だが、6時になってもまだ外は明るい。飲み屋街はまだネオンも灯さず、開店前の状況だ。勿論、人通りもない。

改めて通りを眺めると、カラオケスナック、バー飲み屋が軒を並べている。人口が3万程の小さな市なのに、よくぞこれ程までに沢山の飲み屋が集まった! この島に古くから伝わる文化に確か「おとおし」というものがあるが、この島にやってきた新参者は「おとおし(お通し)」と称して、皆から沢山の酒を飲まされる。男の酒飲みの文化が、この島には根付いているのか。沖縄本島では、良く働くのは女御で、男は遊んで飲み明かす、と伝えられていたが、そうした風習もこの島には残ているのか・・。

港近くの大通りまで行ったが、結局飲食店らしい店はなく、結局又ホテルまで戻り、目の前にある洒落たレストランに入った。奥に細長いシックな感じの飲み屋レストランで、客もそうそう入っている。背の高いカウンター席に座って、メニューを見ると、メインは北海道産のレストランのようだ。店の人に聞くと経営者が北海道出身とのことで、店の名前「いころ」は何かアイヌ語を意味しているそうだ。店の人に先ず今晩はお酒を飲まないことを伝え、ここで北海道の料理を食べるのも何であり、定番のチャンプルをお願いし、夕食とした。

 

飲み屋街に食堂はなく、港の方まで出てみるが、そちらもなかった。この路地の先が平良港だ。

 

路地には昔の赤瓦の古い家も残っている。

 

飲み屋街は諦めて、結局ホテルの前にある「いころ」というレストランに入る。

 

ここで北海道料理を食べるのも意味はなく、チャンプルをお願いした。