ちゃおチャオブログ

日々の連続

孫と一緒の沖縄旅行(14)沖縄最後の観光、首里城へ。

  • 屋我地の浜辺を後に、那覇に戻ることにした。

途中、許田のSAで買い物を済ませ、6時までにホテルに戻る。ホテルで旧知の阿波根と待ち合わせ、近くのおもろ町に出て、夕食。

 

今回沖縄旅行最後の観光。首里城に向かった。

 

  • 火災後に復元された首里城

  • 昨日は美ら海水族館でイルカショーを見てから、今帰仁城址を回るようして屋我地(やがじ)大橋を渡って古宇利(こうり)島の砂浜で遊んだ。3月、海開きはまだだが海水温も暖かく、子供たちは上半身水に浸かって浜辺で遊んだ。二人に取っては、良い思い出として記憶に残るだろう。暫く水遊びし、内地で言う海の家、土産店と簡単食堂を兼ねた店のシャワーで塩水を流し落とし、那覇に戻ることにした。今晩6時には那覇の知人、阿波根さんがホテルに訪ねて来る。それまでに戻らなければならない。

  • 途中の高速道路手前の許田に大きな道の駅があり、ここで土産物を買い、段ボール箱2つに詰めて娘の自宅に送る。ここで買って別送しておけば、帰りの飛行機が楽だ。40数年前、沖縄に住んでいた頃この高速道路が出来て、その時、高速道の終点許田にインターが出来て、パーキングエリアも出来た。40年経った今も同じ場所にあるが、エリアは当時と比べ10数倍も大きくなり、店も賑やかになっている。時代の変化か・・。

  • 夕刻の高速道は途中雨が降ったりして、渋滞もあったが、何とか6時までにはホテルに着いた。旧知の阿波根さんは既にホテルに来ていて、待っていてくれた。家族を紹介し、我々二人は近くのおもろ町に出て、夕食を摂った。5年前に会った時は、少しは飲めたと思ったが、最近は全く酒を飲まないとのこと。自分だけ飲んで、彼はノンアルのビールで付き合ってくれた。40数年前、自分が沖縄勤務の時、何かと助けてもらった。沖縄人の律義さ。今更ながらになるが、40年前の昔話に花が咲いた。阿波根さんには再びホテルまで送ってもらい、彼はモノレールで帰って行った。彼ももう70過ぎ、自分は70後半だ。殆どもう会うことはないかも知れない。半世紀来の知己。淡白な付き合いだ。どちらが先か後か、訃報で知ることになるだろう。

  • 翌朝はホテル近くのA&Wで朝食を摂り、車で直ぐの首里城に向かう。午前の早い時間だが、大きな駐車場は既に満杯に近い。守礼の門近くの駐車場に車を停めて、城内観光。前回、5年前に来た時は、まだ火災前だったが、以前何回も入城したので、入るのは止めた。今回は火災後に再築されているが、火災前と全く同じように再築された。であれば、足も弱っているし、今回も中には入らず、外で待つことにした。

  • 世界遺産の守礼の門。

  • 城門前には紅型を着た観光客もいる。

     

    写真撮影用に観光客が紅型衣装を着ている。


    沖縄は中国の影響を受けて、礼儀正しい県民性だ。