78年間封印されてきた原子爆弾の使用が最近は現実味を帯びてきている。70年前の朝鮮戦争で、人民軍の攻勢に手を焼いた連合軍、米国政府は一旦は核使用も論議されたが、トルーマンにより押しとどめられた。その後のキューバ危機でも米ソの核戦争も懸念されたが、それは瀬戸際でフルシチョフ・ケネディの手打ちで回避された。
核兵器使用の危機は不定期的に沸き起こり、当事国リーダーの不決断により実行に移されないで今日に至っている。核の使用がどれ程人類に甚大な影響を与えるかは、時のリーダーはしっかりと認識していたからだ。しかし戦後78年、今日ほどその危機が高まっている状況はない。
他者の痛み、人類の存亡などは一切考慮せず、自己の利益だけを追求する鬼畜プーチンやネタにエフ、北の金などは、いつ核のボタンを押すかは分かったものじゃない。広島長崎から78年も経つと、直接被爆者の数も減り、人々は段々不感症になってきて、その怖さを忘れてしまう。プーチンや金など核の使用を公言し、人々も半ば有り得ることとして受け止める様になってきた。
核のタガは緩み、5大国以外にも貧乏国のインドやパキスタン、北やイラン、イスラエル、等々世界に拡散しつつある。ロシアや北の脅威に対抗する為、非核国のドイツや韓国、日本なども核武装化の論議が進み、使用、保有の閾値が下がりつつある。嘗ての核アレルギーは相当に薄まって来ている。こうした状況の中で、窮地に追い込まれた気違い独裁者がいつ何時核のボタンを押すかは分からない。それはこの先10年以内に起こりうることかも知れない。限定核使用で、死者も今のウクライナ、ガザ並みの1-2万程度であれば、人類に大きな恐怖を与えることもなく、核の恐怖心は消えることだろう。
核の不使用が人類共通の理念として、全人類が一致団結して、独裁者を制御できない限り、この先、50-60年、更にはもっと先まで限定核使用の戦争行為は行われ、遂には2極化した中露対米国中心の自由社会との全面対決に進み、大陸間弾道弾の撃ち合いに発展するかも知れない。それは100年先になるか、それまで持たないか、何とも予測はできない。言えることは、限定核の使用はICBMへの道を開くということだ。そんな世界になれば、バートランドラッセルの予言した、次の何万年後かの地球上の戦争は石の投げ合いになる。正月に見たデストピアの世界。正夢にならなければ良いが・・。