ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(4)吉野の山中。

機は殆ど同時に紀伊の山中に入って行く。

 

伊勢志摩の島並みが翼の下に見えると、機は直ぐにも吉野の山中に入って行く。吉野は以前2回来たことがある。1回目はまだ若い頃で、車を麓の駐車場に止め、下の下千本から中千本、奥千本までの吉野千本桜の山道を登り、最後は水分(みくまり)の先にある西行法師の庵跡まで行った。200坪ほどの草の生えた平坦地の奥に10坪程の庵があった。そこから先は境界の立て札が立っていて、「女人禁制」となっていた。そうか、ここから先は吉野奥駈道で、女性は立ち入ることはできないのだ。いつか機会があったら、吉野奥駈け、大台ケ原へも行ってみたいとその時思った。

その機会は大分後になってやってきた。100名山を登る山仲間と一緒に、合計7人でやってきたのだ。名古屋から伊勢湾高速道を通って、十津川村に出て、くねくねした山道を上り詰めた終点に大台ケ原の国民宿舎があり、そこに1泊し、翌日、日出ヶ岳標高1695mの展望台から遥か下に広がる尾鷲の海を眺め、更にその先にある最高峰、八経ヶ岳1915mまで足を伸ばし、宿舎で作ってもらった昼食を食べた。その山頂には立ち枯れの樹木が真っ白な骸骨のように何百本も林立していて、何かこのような光景を見る奇妙な感覚に襲われた。

帰り道には大蛇嵓(だいじゃぐら)の高さ1000mもある巨大な岩石の覗き場に寄り、随分と怖い思いもしたが、この登山道は奥駈けの一部になっていて、白装束の行者が肝試しに1000mの崖下を覗き込むテレビ映像なども見ることもあった。ここから落ちたら即死だ。

自分に取っては71座になる100名山。今からもう既に14年前の2009年10月のことで、その時の俳句<かぎろいの 吉野の山に 秋の暮>が残されている。帰りは先刻通過した鳥羽伏見からフェリーで伊良湖岬に渡り、真っすぐ帰京した。10年、15年の歳月はあっという間に過ぎて行く。

 

  • 本当に険しい山並みだ。

  • 吉野大台ケ原はどの辺りだろう・・。

     

    • ああ、又川筋が見える。熊野川の上流の辺りか・・。

10数年前、山仲間とやってきたことが懐かしい。当時は自分も元気だった。