ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(38)奈良興福寺内五重塔。

市役所の側から興福寺境内に進むと、沢山の鹿が屯していた。

 

餌も豊富で、自由気儘な毎日だ。

 

通路の前方に五重塔が見える。

 

国宝興福寺五重塔。東寺の塔に次ぐ高さだ。

 

 

奈良興福寺へは過去数回訪問している。多くは南側にある猿沢の池から上がって来ていて、今歩いて来た市役所の側の道路から入ったのは初めてだ。最初に来た時の印象は広い境内ではあるが、目に付いたのは五重塔だけで、当時も南円堂はあったのだが、殆ど目には入らなかった。五重塔が圧倒的な大きさで、この寺は南都北嶺と称される位に北の京都と南の奈良の勢力争いの一方の雄、ここと東大寺が南都を代表する寺だった。

 

平安末期、平重衡の南都焼き討ちにより、ここも東大寺大仏殿も灰燼に帰したが、平家亡きあと、見事に立ち直った。前方に見える五重塔室町時代の再建で、現在国宝に指定されている。

 

当時はまだそれ程多くの五重塔を見て来た訳ではないが、最初に見た時の印象は、どっしりした安定感のある、重量感のある塔で、さも京都東寺の塔に次ぐ国内で2番目に高い五重塔との事で、圧巻だった。最初に建てられたのは、東大寺と同時期、天平年間の光明皇后の発案だった。

 

最初この寺に来た時はこの塔を見るためであって、国宝五重塔がどんなものか、最大の興味があった。東大寺には大仏があり、ここには五重塔がある。平安時代の奈良京を代表する2つの建造物で、中学の修学旅行で来た時は大仏は見たが、この寺はオミットされていた。

 

市役所の側からの細い通路を進んで行くと、沢山の鹿に歓迎され、お腹は既にいっぱいなのか、煎餅をねだる風もなく、境内に屯していた。通路の前方に塔が見える。何十年ぶりに見る塔か。最初に見た時は長い年月の風雪に耐えた感もあったが、今は全体にリニューアルされていて、見栄えも良い。そうそうこの塔は以前読んだ亀井勝一郎歴史小説、大和古寺巡礼に出て来たのを思い出してやって来たのだ・・。かれこれもう30年以上も前の話である。

 

塔の周辺にも鹿が屯している。

 

 

どっしりとした、実に堂々とした塔だ。

 

何時の頃かリニューアルしたに違いない。

 

この寺で生まれ育った鹿は生まれながらのセレブに違いない。