ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音まほろば奈良の巡礼記(32)西国霊場第七番岡寺にて。

最後の石段を上った先に本堂がある。

 

この寺も長谷寺同様に紫陽花で有名な寺だが、綺麗な花に囲まれている。

 

如何にも歴史を感じさせるお寺である。

 

国宝の義淵僧正座像は、現在奈良の国立博物館で保管されている。

 

 

岡山と言う小高い山の中腹にある岡寺。西国観音霊場はどこも歴史の古い寺であるが、この岡寺も同様で、約1300年程前、天智天皇の勅令により義淵僧正により創建され、飛鳥板葺きの宮にあった岡本寺を移築したとも言われている。義淵僧正は奈良時代の有名な僧で、その弟子には東大寺大仏殿建立の良弁や行基、更にはあの弓削の道鏡などもいて、史上、最初の僧正位を授与されたと言われる。

 

義淵僧正は都がこの飛鳥の地から奈良、平城京に移ってから数年後、この寺で入寂した。乾漆造りの座像は国宝に指定されてはいるが、現在この像は奈良の国立博物館に預託されている。従ってこの寺では見ることはできないが、他に乾漆造りで有名な像は唐招提寺の鑑真像で、乾漆はこの時代の仏像作製の最高傑作の水準にあった。

 

国宝の義淵僧正座像を見ることはできないが、如何にも古そうな本堂にお参りし、境内を見渡す。前方に3重塔も見えるが、新しい感じだ。戦後になって寄進が集まり建造したものだろう。花の綺麗なお寺で、塔の周りも沢山の花に囲まれている。この寺にやってくるまでの長い参道で足も疲れ、ほんの10数m程の距離だが、そこまで行くのも大変で、遠くから眺めるだけで下山する。

 

以前読んだ古代史学者関裕二の本の中に、壬申の乱に勝利して天武天皇となった以前の大海人皇子は、一時この寺に身を潜め、密かに寺を抜け出して伊勢に向かい、更に東海、東国の地に逃げて、力を蓄え、後、近江王朝を打倒して倭政権を奪取したと出ていたが、成程、このお寺なら半ば城塞のような石垣もあり、人里から離れていて、身を隠すには適した寺だっただろう。そんな古代史の隠された陰の部分などを想像しながら、前方の三重塔を眺め、幾世代と続く境内に彩られた花壇を眺め、下山することにした。

 

前方に三重塔も見えるが、近くまで行くのは大変だ。

 

三重塔まで行くのも大変で、境内から眺めるだけにした。

 

花の綺麗なお寺だ。

 

蓮の花。何故か岡さんを思い出す。