日中の本数の少ないバスを待って、岡寺までやってきた。
奈良時代から続く参詣道。道路幅は昔と変わらないが、沿道の商家などは変遷があっただろう。
沿道沿いにあるお寺。岡本寺の子安観音。全く神仏習合だ。
ああ、漸く岡寺の三重塔が見えて来た。
午前中、壺阪寺で予想外に沢山歩き、足も相当に疲れた。石舞台では石の中の石室に入りたい気持ちもあったが、僅かに1m程の段差の上り下りにも大変さを感じ、そこには入らずにこの史跡公園を出ることにした。バス停のある広い駐車場には車も数台しか止っていない。コロナもまだ完全には解禁にならず、漸く県境をまたいでの移動が可能になった位だから、まだまだ旅行気分を楽しむ気にもならないだろう。
バス停のベンチで凡そ40分後にやってくるバスを待っていると、ハイカー姿の中年おばさんがやって来た。ここから近鉄駅行のバスが出ているのか?と聞かれたので、村営バスだから、飛鳥駅に行くはずだ。自分は途中の岡寺で下車するが、と返事した。話を聞くと、彼女は愛知の常滑から今朝近鉄でやって来て、午前中に談山神社にお参りし、途中の山、多武峰を越えてやってきた。今日はここまでにして、後は又近鉄で愛知に帰る、と、今日1日のハイキングを楽しむように話していた。50年配にはなると思われる女性、コロナが開けて、一人でこうして1日ハイクを楽しんでいる。良い世の中だ。
多武峰はこの石舞台の直ぐ後ろ、果樹園の畑の続きの山並だ。それ程高い山ではない。標高は300mもないだろう。この峰の裏側に談山神社があり、更にその先には昨日参拝した長谷寺があり、三輪山もある。今は電車や国道で分断されたような形になっているが、古代では一続きの場所だったのだ。昔の人は足も元気だったから、一山越えるのも1時間もかからないだろう。ハイカー姿の女性を見、改めて石舞台の先の山並を眺め、古代の道を思った。
この周辺は歴史の宝庫だ。岡寺まではほんの数キロ程だし、更にその先には飛鳥浄御原、川原寺、キトラ古墳、等々、足が元気な頃だったら、皆徒歩圏内で、こんないつやって来るか分からないバスなど待つまでも無く、どんどん歩いて回れたのに・・。免許も返納し、レンタカーも借りられない。行動範囲がどんどん狭まって、楽しみも限られてきたが、それでもこうして公共バスがあり、足の不自由な自分でも、杖をつきながらでも旅行は出来る。良い世の中だ。
来た時のバスはほんの数人しか乗っていなかったが、今度やって来たバスはかなり客も乗っていて、ハイカー女生とはバスの車内でバラバラに分かれて座った。5-6分走って岡寺前の停留所で下りる。昔の門前町をどことなく残している古い感じの参道がお寺に向かって真っすぐ伸びている。ああ、平安時代から続く参詣道。・・しかし、ここから又更に5-600mの参道を歩かなければならないのか・・。車だったら、何の訳も無くお寺まで行きつくのだが、止むを得ない。足を引きずるようにしてなだらかな参詣道をお寺に向かった。
なだらかな坂道を登り切った場所にようやく山門が見えて来た。
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かなり長い道のりを歩いた。立派な山門だ。
山門の中は綺麗に手入れされている。