人気の少ない静かな神宮だ。
広い境内で、手前には摂社も並んでいる。
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本宮境内にやってきた。
日本全国に何カ所の神宮が存在しているのか、自分には正確には分からないが、少なくとも神宮と呼ばれる社は天皇家と結びついた関連性があると思われる。北海道は明治以降日本政府主導で開発された土地で、それ以前には北海道南西部の一部分に松前藩が存在していただけで、道全体の開発とは無縁だった。北海道全体が明治政府の管轄下に置かれ、北方四島も江戸幕府の管轄権を継承する形で明治政府が国土の一部としていた。
明治政府主導で北海道各地が開発されると同時に、各地に神社も創建され、その北海道全体の神社を統括する形で、ここ札幌に北海道神宮が創建されたのだ。であるから北海道全体の神社、神宮は明治以降に出来たものであり、創建は150年を越えていない歴史の浅いものである。しかしここにある北海道神宮は、広大な敷地と森を持っていて、流石に神宮と呼ばれるに相応しい格式を持っている。
丸山公園の延長に神宮があり、境内に入るとまず摂社などが並び、本宮に入る。ここまで来ると参詣者の数も増えてきて、車でやってきた参詣者は反対側の駐車場に車を止めてやってきたのだろう。本殿にお参りし、境内に展示してある道内名産品のコーナーを眺める。ロイスとか六花亭、等々、美味しそうな土産物が並べられている。こうした業者が氏子として神宮を盛り立てているのだろう。
以前は山登りに忙しく、参拝もそこそこにこの神宮の横手から登山道が始まる円山に向かった。直ぐ隣には藻岩山もあったが、普通の革靴とズボンで、一つ低い円山にした。今は違っているが、以前は、台風が北海道まで勢力を落とさずにやってくるのは珍しかった。かなり大型の台風で、この円山登山道では立木が何本も折れて倒れていた。相当強い強風が吹いたのだ。
当時札幌支店の責任者は安部ちゃんで、台風処理で忙しく、夜は会うことはできなかった。泊まっていた大通公園の第一ホテルまでロング缶3本を届けてくれた。その翌日円山に登ったのだが、200mもない小山で、山頂までは30分も掛からなかった。この山頂からは札幌市内が一望に見えた。碁盤状の街並みが眼下に広がってた。今はもう足が弱って、平地も綬分に歩けない状態だが、20数年前のこの時の登山を思い出し、今日はこの北海道神宮へやって来たのだ。境内の端から登山道を眺め、宮を後にした。
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境内には地元名産品の展示コーナーも作られていた。