ちゃおチャオブログ

日々の連続

高幡不動尊参拝(2)アジサイ路。

五重塔の裏山は山内八十八ケ所霊場巡りの遊歩道になっている。

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茂みの中にもアジサイが見える。

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  • 今はコロナ禍で、アジサイ祭りでも参詣客は殆どいない。アジサイだけが花を散らしている。

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  • 五重塔の裏山は小高い丘になっていて、沢山のアジサイが植えられている。今は丁度アジサイ祭りのたけなわの筈だがこのコロナ禍で見に来る人はほとんどいない。裏山全体が山内八十八カ所巡拝路になっていて、ここには四国八十八ケ所を模した石仏が八十八体奉納されている。斜面の全体にアジサイが植栽されていて、石仏はその花に囲まれるようにして安置されている。アジサイはやや盛りを過ぎ、寺僧か修行僧かが花を剪定し、地面の上に直に置いて、アジサイが地面から直に咲いているようにも見える。今日の天気予報は午後から雨の予想で、この裏山にまで登ってくる参詣客は少ない。

  • 裏山の斜面からは先刻通り抜けてきた五重塔の法輪が木陰に見える。良い眺めだ。東京には4カ所の五重塔があるが、その3か所は平地に建っていて、ここ高幡不動のような山の上から眺められる塔はない。浅草浅草寺も小学時代修学旅行で来たことはあったが、お寺も境内も余り記憶の中には無い。大学時代お参りに来たことはあったが、その時はまだ五重塔はなかった。いつ頃出来たのかは知らないが、多分、この高幡不動と同じ頃に、近代建築で建てられたのだろう。

明治の文豪幸田露伴池上本門寺の塔を題材にして書いたのが「五重塔」で、自分も以前その本は読んだと思うが、中身はさっぱり忘れてしまっている。しかし、本門寺の五重塔は江戸時代創建の重要文化財で、上背はそれ程高くはないが、古色蒼然とした趣のある塔だった。上野寛永寺五重塔は本門寺よりも上背は高く、公園内の片隅でキリっと建っているが、これも江戸時代の創建で国の重要文化財となっている。幕末、上野の山が彰義隊と新政府との戦場になったが、よくぞ戦禍を逃れ、現代に継承されたものだ。

アジサイ路の斜面を登っていると、一人の中年女性が一体一体の石仏に熱心にお参りしている。何を祈っているのだろ。悩みがあるようには見えないが、何か他人には知れない深い悩みがあるのかも知れない。八十八体、この山中の端の方まで回り巡らされている山内霊場。祈ることによって、心の平安は得られるだろう。福あれ、多幸あれ。

 

アジサイ路ではあるが、山百合も丁度満開に咲いている。

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小山の下に五重塔が見える。

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自然の中の雑木と混じり合って、山アジサイではないが、山の中のアジサイ

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