ちゃおチャオブログ

日々の連続

西国観音三十三番華厳寺巡錫と美濃の旅(4)御朱印帳最後の頁に御朱印3つを頂き、下山する。

本堂前の最後の石段を上り、本堂から参道を眺める。こうして見ると、結構長かった。

 

本堂前には昔からある略紀が掲げられていた。

 

本堂の横手には庫裏も見える。

 

本堂内は撮影禁止になっていて、外からしか撮影できなかった。

 

参道の奥に早咲の桜も見えた。薄墨だ。

 

 

本堂前の最後の石段を上り、振り返って今来た参道を見ると、確かに長い。石段も何段かに分かれていて、その都度一休みして上がって来たが、漸く登り切った。お札の順番通りであれば、ここ華厳寺が最後の霊場になり、それを達成する巡礼者に取っては一入の喜びだろう。四国八十八ケ所の最後は讃岐の大窪寺で、そこも又町から離れた山中にあり、歩き遍路に取っては大変な場所だが、自分はその時、車で行ったので、大変さは感じなかった。

途中のお寺を飛ばしての三十三番札所。ご本尊の十一面観世音菩薩にお参りし、御朱印を頂く。ここでは3種類の御朱印を頂く。先ずは本堂右奥にある満願堂での満願をお礼する御朱印。次に本堂への十一面観音。最後の一つはここで巡礼は終了し笈摺を納める笈摺堂への御朱印。これで西国巡礼は満願適ったのだ。最後に本堂入り口にぶら下がる木魚ならぬ鯉の木彫りを手で撫でて、本堂を後にする。何故か理由は知らないが、それが巡礼者の習わしとなっているようだ。

長い参道をゆっくりと下り降りる。下りだから当然上りよりは楽で、周囲の景色も観察できる。昔醍醐天皇の頃、油の混じった泉があって、その油を利用して、燈明の火が絶えることは無かったと言われ、天皇よりこの寺の山号を谷汲山と命名されたとのことだ。新潟では今でも地中から油が湧きだし、昔の人は臭水(くそうず)と呼んでいたが、この美濃の地方でも同じような臭い水が湧き出ていたのか・・。

回りの景色を見たり、そんなこんなを考えながら下山してくると、山門の直ぐ横の土産店が開いている。この参道の多くの店が閉じたままだが、この土産店も開けていても客足は乏しいだろう。高齢の夫婦が二人で店の切り盛りをしている。そうだ、ここで孫への土産を送ってやろう。ソバ、うどん、甘露煮、お菓子などを段ボールに詰めてもらい、宅配してもらう。今日送れば明日にはもう着く。便利な世の中になったものだ。門前からの宅配は以前行った和歌山の粉川寺からも甘夏を送ったことがあった。

少しお腹も空いたが、休める店も無く、途中で団子を買って、食べながらバス停まで戻る。バス停には既に一組の初老の夫婦が待っていて、バスも間もなくやって来るようだ。自分よりは大分若そうだから初老と言ったら失礼か。多分、定年後の余生を夫婦二人で巡礼の旅に出ているのかも知れない。仲の良い夫婦だ。バスは10年程前に廃線になった支線の跡に沿って谷汲口駅に向かう。参道入り口のバス停は旧支線の谷汲駅だ。樽見線大垣行の電車もバスに合わせたように間も無くやって来た。

 

漸く山門が見えて来た。

 

山門横の土産店で土産品を見繕い、孫へ宅配してもらう。

 

こんな感じで段ボール詰めしてもらう。

 

参道の途中には八王子神社もあった。何でここに??

 

団子を食べながらバス停に向かう。

 

バス停には自分よりはかなり若いが初老の夫婦がバスを待っていた。