ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南10都市巡りの旅(31)最後の水郷巡り「西塘」の路地歩き。

杭州の街を出ると、前方に中国新幹線「和諧号」が走っていた。
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ガイドの陳さんの引率で、これから西塘の旧市街を歩く。
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ツアー客も路地歩きを楽しむ。
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昔の商店を改装し土産物屋などにしている。
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「今昔橋」。大阪の道頓堀にでもありそうな名前の店だ。
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路地は1キロ近くに亘って続いている。
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5日目の今日は杭州を出て上海へ戻るのだが、旅程では上海までの途中2カ所の観光地を回ることになっている。その最初の訪問先が「西塘」で、ここも又有名な水郷の街である。ガイドの陳さんの説明では、ここ「西塘」も水運を利用した明清時代の商業都市で、江南地方の豊かな産物の集積地になっていた、とのこと。

バスに乗って凡そ1時間、暫らく田舎道を走ると大きな駐車場に着き、旧市街地を歩くことになった。人が3人並んで歩いたら道路一杯にあんるような狭い路地を歩く。この通りが明清時代の商店街で、今は現代風に内装等を変えているが、その昔は繁華な商店街だったらしい。地方からも舟に乗って買い物に来ていたようだ。

ここでもう既に5-6か所の水郷巡りをしたが、この町はこの町で特色があるようだ。道路の狭さはどの町にも共通した特徴であるが、丁度アメ横のガード下とか、浅草中通を一本入った路地のように、道幅を狭くすることによって、通行人と店との距離を短くし、且つ、人々の密集した状況を作り、購買意欲が刺激されるということだろう。それと、堺港のように、商業都市としての治外法権、商人、商売の特権のようなものがあり、武装集団の侵入を減殺させる役割もあったかも知れない。

そんな風に明清時代のこの町の賑わいを想像しながら、人一人が精一杯通り抜けられるような狭い路地を歩くのも悪くは無い。どこか、子供の頃の隠れんぼ、路地から路地を渡り歩いて、逃げ回った記憶も思い出される。

西塘は上海からも近く、清時代の建物、風物などが色濃く残されていて、上海市内のホテルなどには、この町の日帰り1日ツアーのパンフなどが置かれているが、当方の記憶では300元、500元はしたと思った。今回のこのツアーで期せずしてこの街を訪問できたのは、ラッキーだったかも知れない。
 
 
 
 
人が漸くすれ違えるような狭い路地が続く。
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今は観光客しかいないが、清時代には随分と賑わっていたに違いない。
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こんな狭い通り抜け専用の路地もあった。右手に「住宿」と書いてあるのは「旅館」のこと。
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「今日有房」とあるのは「空き部屋あり」のこと。
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これがその「住宿」の入口というか中庭。
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宿泊した人の記念写真。外人なども泊まっているようだ。
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