ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(43)天童寺境内にて。

天童寺の前には大きな池がある。
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ああ、放生池だ。
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この放生池は先日の補済寺と違って、人は誰もいない。
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鯉と金魚だけが静かに泳いでいた。
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境内に足を踏み入れる。
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近郊バスが終点天童寺に到着する少し前、人口500-600人程のちょっとした集落を通り過ぎたので、このお寺が人跡未踏の深い山の中にある訳でもない。寧波からの往復近郊バスが日に何本か出ている位だから、むしろ街中に近い大寺と言えるだろう。
 
しかしこのお寺、天童寺自体は、人家から離れた山中にあり、深い木立の中に静かに佇んでいる。その佇まいはどことなく福井の永平寺に似ていなくもない。
 
福井の賑やかな街中を出たバスは、郊外の集落を通り抜けると、忽然と深い木立に囲まれた永平寺が現れる。この人口密集地からここまでの距離感、途中の集落、それを断ち切っての深い森の中のお寺。道元禅師は多分、この天童寺と寧波との距離感、塵芥から離れた独立したお寺、等々をイメージして、永平寺を切り開いたものと想像した。
 
お寺の前には大きな池がある。放生池だ。大きな鯉や金魚が泳いでいる。ここへ来る直前の二日前、補陀山の補済寺の前の池で見た情景を思い出す。但し向こうは平地の中の大きな池。こちらは深山の中の静かな池だ。参詣客も少なく、読経の音や香の煙も漂わず、廃寺と思える程の静けさだが、門前には何軒かの土産物屋も出ていて、祭礼日には大勢の人で賑わうに違いない。
 
道元禅師がどのような気持ちでこの山門を潜り、石段を登って行ったか、忖度術もないが、寺内に入る。幽玄という気を感ずる。永平寺は既に観光寺化して随分と俗化しているが、このお寺は今もなお禅宗のきりりとした空気を漂わせている。身の引き締まる思いを持って、足を踏み入れた。
 
 
 
 
ああ、立派な仏殿だ。
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紅衛兵の打ち壊しには遭わなかったようだ。
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ここは韋駄天?
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天王殿もある。天童如浄禅師でも祀られているのだろうか・・
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遠方に五重塔も見える。
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これも又立派な塔だ。
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