ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(22)バンビエンという町。

バンビエンの郊外のバスターミナルからソンテウで運ばれた市内のホテルMalany Villa.
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Villaとは名ばかりで、1泊1000円もしないゲストハウスだ。
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しかしこの4階からの眺めは素晴らしい。
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目の下がこの町のメインストリートだ。
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家並の向こうに大きな山も迫ってきている。
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ラオスには過去3回来ているが、ビエンチャンからそれ程遠くない場所に「バンビエン」という町があることを知らなかった。この町の名前はつい半年ほど前、タイ語サークルの佃さんがラオスを旅行し、この町に数日滞在し、この町の美しさ、自然、外人の多さ等話されていたのを聞き、それでは今度ラオスへ行く際には、この町へ寄ってみよう、というのが、今日やって来た理由だった。

アーバスは郊外のバスターミナルに到着し、そこからソンテウに乗って市内の中心地まで運んでくれるが、その終点が目抜き通りの正面にあるホテルの中庭で、下車すると同時にホテルのオヤジが待ち構えていたようにやってきて、宿泊を勧める。周辺には幾つかゲストハウスがあるようだが、いちいち聞いて回るのも面倒。しかもこの町は泊まるとしても1泊。多少は高くても問題ない。聞いたら12ドルのところ、10ドルにしてくれると言う。今円高だから1000円もしない。直ぐにもここに決めチェックインした。

4階建てのホテルで4階まで上り下りするのは大変だが、眺めは抜群だった。4階テラスからは直ぐ下にこの町のメインストリートが走っていて、その先にはソン川がゆっくりと流れ、川向こうには大きな山が屏風のように立ちふさがっている。絵に画いたような景色だ。

ホテルの裏側に回ると、直ぐ近くにダート状の飛行場がある。今は使われていないようだ。ああ、そうか、ここがベトナム戦争花やかなりし頃の米軍基地跡か。ここからB29が足繁く飛び立ち、べトコンやジャール平原のパテトラオを爆撃していたのだ。当時この町は米兵で溢れかえっていたに違いない。今はファランの旅行者に姿を変えているが・・。巨費を投じた米軍も結局は戦争に勝つことも出来ず、この町から引き揚げて行った。その時の形骸が今目の下に横たわっている。敗残兵の夢の跡のように。
 
 
 
 
ああ、ソン川とその先の山並み。
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凄い険しそうな山だ。
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ああ、足が上部だったら、登ってみたい!
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取り敢えず町を歩いてみよう。
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ああ、如何にも田舎びた町だ。
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