ちゃおチャオブログ

日々の連続

熱海の花火。

台風18号が去って、新幹線が開通した直後の東京駅。
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大江戸温泉ホテルは朝夕共にバイキング。
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東京では食べられない程の刺身をたらふく頂いた。
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新鮮な刺身に大満足。
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窓の正面に熱海城と後楽園ホテルが見える。
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さて、いよいよ花火の打ち上げだ。
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ああ、豪華なものだ。
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20年程前、熱海で真冬に花火を上げる、ということでちょっとしたニュースになり、年々湯治客、観光客の減少に悩んでいた旅館業者にとっては、久々のヒットとなった。確かにそれまでの固定観念と言ったら、花火は夏の風物詩、確か俳句の世界でも夏の季語となっていた。

冬の花火」。寒空に震えながら眺める花火のどこが良いのか、酔狂とも思えるアイデアだったが、それはそれで湯治場熱海なればこそ、温泉で暖まった身体でビールを傾けながらのベランダガラス窓越しの花火見物は、真冬に花火を見ると言う、奇妙な贅沢感、季節のパラドックスに人気を博し、その後、毎年恒例のこととなった。

その人気ぶりに気を良くしたのか、10年程前からは冬だけでなく、春、夏、秋、とオールシーズンで打ち上げられるようになり、花火好きのお客さんを大勢集めるようになり、「熱海の花火」は、「熱海温泉」以外にも集客の目玉となりつつある。確かに熱海は坂の町で、ホテルも旅館も窓は全て海側に面しているので、海際で花火を打ち上げれば、どのホテルからでも見物できるメリットはあった。

毎年恒例の「秋の花火」は例年9月16日に行われる。敬老の日で、この日は通常3連休になっている。連休の間に泊まりに来たお客さんに、最後の日にもう1泊してもらおう、との魂胆があるのかも知れない。が、今年の3連休は、台風18号の日本接近で、連休初日から荒れ模様。2日目には愛知・岡崎に上陸し、各地に大量の雨を降らせながら、日本本土を北上中だった。

この日は新幹線もこの大雨で美濃三川が流れる岐阜羽島―京都間が不通、富士川を通過する静岡―富士駅間が不通と、大混乱。が、昼過ぎには風雨も収まり、都内でも薄日が差すようになて、午後から新幹線も全線開通となり、当方も東京駅の大混乱の中、漸く夕方までには熱海に着くことができた。

宿泊は、熱海の坂の中腹、旧熱海駅のあった場所に立っている大江戸温泉で、ここからの見晴らしは抜群。夕食はバイキングで、鯛の刺身等、食べ放題。鯛、マグロ、ヒラメ、アジ、カツオ等々、東京では中々食べられない刺身を思いきり食べ、食後間もなかったが、温泉に浸かって、打ち上げ花火の開始を待つ。

八時半、熱海城の真下、丁度後楽園ホテルの前の埋め立て地から突然の夜空をひっくり返すような大音響と共に、最初の花火が打ち上げられる。その数と豪華さ、連続打ち上げ。流石、熱海の花火だ。両国の花火を見たのは大分以前、まだバブルの頃だったが、その両国の花火を陵駕するほどの豪華絢爛。全く見事なものだった。

花火は平和の象徴。戦前にも打ち上げ花火があったかどうかは知らないが、戦争中、空に打ち上げる火薬と言ったら、高射砲か大砲の玉。その大砲に代わって、戦後は花火となった。戦争の恐怖におびえていた国民は、戦後直ぐに始まった各地の花火大会に、心から平和を喜び、花火の爆発音に酔い、流れる煙にむせた。子供の線香花火から各市町村での花火大会。日本の夏を彩った。実に花火は、家族の平和と国の平安の象徴でもあった。

熱海城の下から打ち上げられた大輪の花を眺めながら、ヘミングウエイの「陽は又昇る」、スペインのパンプロ―ナの町の花火を思い出していた。
 
 
 
 
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翌朝は台風一過の快晴で、正面に初島が浮かんでいた。
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帰りの新幹線の窓から大山もくっきりと山容を見せていた。
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