この町は、宋の時代より「清明上河」の町と呼ばれていた。
五重塔5階からの眼下の眺め。
遠く平坦な街並みがどこまでも続いている。
中国らしい4-5階建ての団地群。
開封府の石庭とその先の包公湖。
凄い石庭だ。
開封府の五重塔は仏教の慰霊塔ではなく、この「府」の権力の象徴、日本で言えばお城の天守閣のようなものだ。だから堂内に入っても、常の五重塔だと仏像やら、その寺の始祖、中興の祖などの抹香臭い像が飾られているのだが、ここの塔はそうした仏教的なものは何もなく、1階には開封府をし切った歴史上の人物、この町の別名「清明上河」の図解などが奉納されている。
中階段を上り、3回4階5階と登って行く。それぞれの階に回廊があって、どこからでも外の景色は眺められるが、矢張り最上階へ直行する。一番上の階からこの街の様子を眺めてみたい。そう考えるのは当方だけではなく、この塔に入った人の共通の思いのようだ。人々は階段を休み休み最上階に登って行く。
凡そ30m-40m程の高さがあるだろうか。塔の上からは町が一望できる。河南の地、山は無く、四方に街並みが広がっている。800年前、宋の皇帝がこの五重塔の最上階から眺めたと同じ光景が広がっている。直ぐ近くには先刻歩いてきた「包公湖」も広がっている。その先には古い街並みが広がっている。街の広がり、古めかしい建物群は、数年前の瀋陽タワーからの街並みを思い出す。中国的な街の広がりだ。四方八方に広がっている。
清明上河図の世界。こうした繁栄した街並みを眺め、時の皇帝は満足したに違いない。丁度大阪城の天守閣から城下を眺め悦に入っていた秀吉のように。この光景も忘れられないものになった。処で、この旅行記は1年半前の去年の4月時点での情景を描いている。次から次に旅行し、旅行記の編集がままならない。明日から又インド12日間の旅行に旅立つ。インド旅行記が完結するのは、一体、いつになるだろうか・・
中階段を上り、3回4階5階と登って行く。それぞれの階に回廊があって、どこからでも外の景色は眺められるが、矢張り最上階へ直行する。一番上の階からこの街の様子を眺めてみたい。そう考えるのは当方だけではなく、この塔に入った人の共通の思いのようだ。人々は階段を休み休み最上階に登って行く。
凡そ30m-40m程の高さがあるだろうか。塔の上からは町が一望できる。河南の地、山は無く、四方に街並みが広がっている。800年前、宋の皇帝がこの五重塔の最上階から眺めたと同じ光景が広がっている。直ぐ近くには先刻歩いてきた「包公湖」も広がっている。その先には古い街並みが広がっている。街の広がり、古めかしい建物群は、数年前の瀋陽タワーからの街並みを思い出す。中国的な街の広がりだ。四方八方に広がっている。
清明上河図の世界。こうした繁栄した街並みを眺め、時の皇帝は満足したに違いない。丁度大阪城の天守閣から城下を眺め悦に入っていた秀吉のように。この光景も忘れられないものになった。処で、この旅行記は1年半前の去年の4月時点での情景を描いている。次から次に旅行し、旅行記の編集がままならない。明日から又インド12日間の旅行に旅立つ。インド旅行記が完結するのは、一体、いつになるだろうか・・