ちゃおチャオブログ

日々の連続

補陀落渡海への旅(101)魯迅生家。

魯迅生家で最初に入ったのは幼少の頃の勉強部屋「三昧書屋」。
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紹興の名家だけあって、小さい頃から、随分難しい勉強をさせられていた。
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歩行が先か、四書五経が先か、の感じである。
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幼少の頃のこうした環境が人物を育成しているのか。
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普通の少年ならこうした窮屈な環境は耐えられなかっただろう。
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学問臭のぷんぷんする部屋から中庭に出て、大きく深呼吸をした。
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魯迅もこうしたかび臭い生活に嫌気がさして飛び出したのかも知れない。
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学生の頃、魯迅の小説を1-2冊読んだことがあった。「阿Q世伝」など、清末から民国にかけての没落上流層の生きざまを描いたものだが、余り面白いとは思わなかった。大学の先生から近代中国の文化人の考え等を知るためには読んでおいた方が良い、と言われ、読んだ位だから彼に対してそれ程関心を持っていた訳ではなかった。大体、彼が生まれ育ったのは北京とばかり思っていたので、前回のブログにも書いた通り、20数年前、最初に北京を訪れた際には、北京市内の旧居を探し回った次第だった。

その後、最近になって上海を訪問するようになり、行くと、この街にも魯迅の旧居があるという。しかもそこは今は大きな魯迅公園となっていて、誰でも自由に出入りできるとのことだった。であるとすれば、出生は上海か?そう思ってその魯迅公園へ行くと立派な記念館があって(これはどうも日本の援助で建てられたらしい)、そこには、ここは魯迅が最晩年を過ごした場所であり、魯迅の生まれた故郷は紹興と出ていた。

今その紹興魯迅故里へ来ている。立派な記念施設として整備されている。ここがまぎれもない魯迅、いや、周樹林の生まれた育った家で、幼少の頃を過ごした場所なのだ。故里、とは故郷の家、と言う意味か。随分と大きな屋敷だ。建物が色々と入り組んでいて、全体の広さから言ったら、ちょっとした小中学校の運動場は優に超えている。1000坪は下らないだろう。

後で知ることになるが、周家というのは紹興の名門で、ずっと古くからこの地に根を下し、明清の時代には大きく栄え、地方高官、科挙進士、政治家、等々の著名人を輩出しているとのことである。そうした中の一人に日本でも有名な周恩来元総理がいて、彼は魯迅の従弟に当たるようだが、そう言えば、風貌もどことなく似た感じもする。

広い敷地内、どこから回ってよいのか分からなくなるが、取り敢えずは彼が幼少の頃学問をしたという「三昧書屋」から回ってみることにしよう。
 
 
 
 
薬箱のような本箱。昔は紙が貴重で、本は宝物だったのだ。
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ここは何の部屋だろう・・
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佛と書いてある。日本で言う仏間か・・
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ああ、般若心経が掲げられている。魯迅もお経を読んだのか・・
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南無阿弥陀仏、ナンモーダー、は日中共通だ。
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ここは食事部屋か・・
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ここでは貴賓客との会食が。
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