ちゃおチャオブログ

日々の連続

上海ー新加坡ー吉隆坡ー曼谷4都旅行記(69)マレー半島の朝焼け。

タイ国境行深夜の列車はイポー駅を出た。乗客の殆どは深い眠りについている。
 
 
 
当方は幸いに乗客の少ない1等車だった。
 
 
 
明け方食堂車へ出てみる。早朝で客は少ない。
 
 
 
当方、マレーシア最後の食事にスープカレーを食べる。
 
 
 
食事を終える頃窓の外が明るくなってきた。
 
 
 
 
深夜の列車はイポー駅を出発した。乗客の大半は現地マレーシア人で、外国人旅行者は殆ど見当たらない。先刻待合室にいた3-4人の白人旅行者もどこかの車両に行ってしまった。列車は全て座席指定になっているいうで、混雑はしていない。当方1等車に付き、座席もレザーシートで、殆どガラガラの状態で、前後左右には他の乗客はいない。4人掛けのシートを一人で占領する形になり、安眠できそうだ。

座席の上に足を伸ばし、身体を斜めにして寝る努力をする。寝台車のような寝心地はないが、垂直の状態で寝るよりは幾分ましだ。安眠はできないまでもうつらうつらはしたようだ。早朝、クアラルンプールを出てからの、今日1日の疲れが溜まっていたのかも知れない。数年前オーストラリア大陸縦断鉄道「ガーン号」にアデレードからアリススプリングまで乗車したが、少なくとも、その時よりは今日の列車の方が良さそうだ。

2-3時間はウトウトし、未明に目が覚める。外は真っ暗で何も見えない。退屈まぎれに列車内を歩くことにする。日本の新幹線から食堂車が廃止されてもう随分の年月が経つが、こうしたアジアの国の長距離列車には、食堂車がまだ残っている。何年か前、ハジャイからバンコクまで寝台夜行で帰ったことがあったが、その時食堂車で乗り合わせた元退役軍人、陸軍大佐とビールを何本も飲み、意気投合したのを思い出す。今日も又そんな出会いがあるかも知れない。

朝早い時間なのか、食堂車は空いていて、又、この国の国情、朝からビールを飲む人などおらず、皆、他人行儀だ。何を食べて良いか分からず、定番のサンドイッチのメニューもなく、一番無難なカレーライスをお願いする。マレーシア最後の食事とする。最初から最後まで健康的な国だ。マハティールが20数年前、日本を見習え「Look East」を掲げ、国をリードして行ったが、これからの日本は逆に、「マレーシアを見習え!」があっても良いかも知れない。

食事が終わるころ、右側の窓が朝日の朝焼けで明るくなってきた。マレー半島はほぼ垂直に近い南北に伸びている半島。今列車はほぼ真っ直ぐに北上している。旭日は右手、90度の角度から差してくる。良い眺めだ。豪州の縦断鉄道を思い出す。更に言えば、第2次大戦時、銀輪部隊は、この旭を背に、シンガポール昭南島に向かい、半島を駆け抜けていったのか・・。更に更に、昭南市に本部を置く南方総軍の高級軍人、或は南洋庁の高級役人が、この半島縦断鉄道に乗って、曼谷間を往来し、今日のような旭光を眺めていたのだろう。進駐の当初、泰緬鉄道建設時、戦争末期、乗客の朝日を眺める心情は大きく変化して行ったが、今日昇る旭は70年前と変わらない。
 
 
 
 
ああ、朝焼けだ。
 
 
 
マレーシアの夜明け。
 
 
 
マレーの朝焼け。
 
 
 
漸く地平線に陽が昇る。
 
 
 
マレーの虎もこんな朝焼けを見たことがあったのだろうか・・