ちゃおチャオブログ

日々の連続

ラオス北部紀行(70)ラオス北部の町、ウドムサイ(อุดมไส)着。

山中での小休止の後、再びバスは北に向かうが、山また山の光景である。
 
 
 
ああ、前方の山の斜面に段々畑が作られている。
 
 
 
こんな奥深い山の中にも、山岳民族が生活しているのか・・
 
 
 
ああ、道路に面して家もある。
 
 
 
電気も水道もない生活。薪が唯一の燃料だ。
 
 
 
ルアンパバーンを出て3時間半、漸くウドムサイのバスターミナルに到着した。
 
 
 
 
 
 
ラオスは南北に細長い国で、その南北の国境線に沿って、メコンの大河が流れている。人口は約600万人、神奈川県とほぼ同じ位の人口だ。国土は日本の約半分、本州位の面積があるから、人口密度の点から言ったら超過疎の国だ。産業は主に農業であるが、織物が盛んで、「羅紗(ラシャ)」は中国汕頭(スワトウ)辺りからもたらされた織物を言うが、その元を辿れば、この「ラオス織り」から由来しているのではないかと思う。それ程ラオス織りは特徴があり、民族的だ。

首都のビエンチャン(เวียงจันทร์)はこの国のほぼ真ん中辺に位置していて、メコン川にも面しているので交通の要である。この首都を中間点にして、地形は北部と南部で大きく異なっている。ビエンチャンの南は平原状、高原状の台地の地形になっているが、ビエンチャンからの北は山岳地帯、既に今までバンビエンやジャール平原で見て来たように、山また山の連なりだ。これ等の交通不便な山あい、谷あいにそれぞれ山岳民族が昔からの伝統を守り、今に生きていろのは今日までの旅行で見て来たことである。

ルアンパバーンを出てから約1時間、人里離れた山中でトイレ休憩を取って、ミニバスは更に北に向かうが、将に山また山の光景である。こんな山奥に人など住んでいないと思いたくもなるが、少数民族は山の陰、谷の影で人知れず生活しているのだろう。遥か先の山の斜面が段々畑状の山肌になっていて、明らかに人の手が加えられているが、ここから見ても人跡未踏と思われるような山の頂にも、人の気配が感じられる。文明とは遠くかけ離れた未開の山間部で、家族が助け合い、自然の恵みを糧に平和な毎日を送っているのだ。

山を下り、平地部に入って暫らく走ると目的のウドムサイ(อุดมไส)だ。ここのバスターミナルも周辺の光景とはやや場違いに近代化されている。江戸時代の宿場、宿駅と同じような感覚で、ラオス政府もこうした交通機関の整備には力を入れているのだろう。丁度時間は昼過ぎ。ミニバスはここで大半の大半の客を下ろし、30分程食事休憩した後、残り数名を乗せて、終点のルアンナムターへ向かう。

当方はここで下車となるので、リュックを持って、このターミナルのどこかで食事しようと、レストランを探していると、「日本人ですか?」と寄って来る青年がいた。「ええ、そうですが、そちらさんも?」と答えると、いや、奇遇。こんな場所で日本人の旅行者に会えるとは!彼は大阪茨木駅前にある整骨医で、年末の休みを利用して、このラオス北部を回っている、とのことで、このミニバスに乗って、これからルアンナムターへ行く予定とのこと。一緒にお昼を食べようと誘ったが、既に食事は済んでいるとのことで、バスの前で記念の写真を撮って、彼とはそこで別れる。ポーンサワンでは川口出身の青年に会い、昨日はルアンパバーンのレストランで神戸出身の若夫婦に会った。こんな山奥の辺鄙な町で、何人もの日本人と遭遇するとは! 偶然は重なるものである。
 
 
 
 
中々立派なターミナルだ。
 
 
 
ミニバスの運転手と記念の写真を撮る。
 
 
 
 
そこへ日本語で話しかけて来た人がいて、驚く。聞くと大阪茨木の整骨医とのこと。
 
 
 
さて、今日のお昼は何にしようか・・
 
 
 
 
 
 
 
さてこれからホテルを探さなくては・・