アグラ城内の観光。

ここがムガール朝の王都であった。

この奥の建物は後宮と言われている。

中庭だ。草木が珍しい。

何風の庭だろうか・・

シャージャハーン囚われの間に向かう。

ああ、これは素晴らしい彫刻だ。

今回のインド旅行、通算5日間ではあるが、往復の航空機搭乗時間を差し引くと、実質3日間で、インド北部の平原約750キロを移動し、合計9か所の世界遺産を巡る。短時間での盛り沢山の日程で、行く先々で沢山の写真を撮っておかないと、何が何か、分からなくなってしまう。写真を撮ったとしても、王宮など似たような構造と赤砂岩の城壁でできているので、よくよく見ないと、混乱してしまう。
そうして巡り巡った9か所目の世界遺産「アグラ城」。今回旅行のいよいよ最終の訪問先となる。ここはムガール帝国絶頂期の、当時世界最強の王「シャージャハーン」により建設された王宮で、あり余るお金をふんだんに使っての、贅の限りを尽くした建物だった。皮肉にも、お金を使いすぎた結果、国庫を危うくし、息子によって王位を簒奪され、この王城に幽閉されたのは、皮肉を通り越して、数奇な運命の皇帝とも言えた。
アラビア風の細密画を施した壁。先にも触れたが、ムガールはモンゴルの訛ったもので、この王家の元々の発祥はモンゴル系と言われているが、彼等にとって、ペルシャ、中東、アラビアは、文化の中心で、あこがれの的だった。彼か、彼の父親のアクバルか、3人の妻がいて、一人はアラブ系のモスレム、一人はインドのヒンドウ教徒、それにゴアから迎えたポルトガル系の白人クリスチャン。蒙古系の奥さんもひょっとしていたかも知れない。3つの世界宗教を巧みに使い分け、多民族国家の国王として君臨していた。
シャージャハーンが幽閉された部屋は「タージマハール」とは反対側になっていて、そこからは聖堂は見えない。見えるのは滔々と流れるヤムナー河の流れと、その対岸の茫洋とした平原だ。方角は父、アクバルが一時王城としていたファテイープル・シークリー城」だが、ここからは見えない。最後は幽閉された「王の中の王」、この窓から川面を眺め、何を思い、回想していたのか・・
偉大なる王が晩年幽閉されていた部屋。

王城内の観光を終え、出口に向かうツアー客。

最後の訪問先、ツアー客も満足な面持ちだ。

王城の出口付近には政庁(裁判所等)の建物があった。

中々立派な建物だ。

ここも良い庭だ。

当時の王宮の生活が偲ばれる。

アグラ城に最後の別れを告げて、デリーの空港に向かった。
