ちゃおチャオブログ

日々の連続

The Third Eye カトマンズへの道(59)ジャマー・マスジットの門前市を通り抜け、コンノートプレイスへ。

ジャマー・マスジットモスクは20m程の高台に立っていて、見晴らしは良い。
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モスクの直ぐ横には緑に覆われた高級住宅地もある。このモスクの宗教関係者の住宅地か・・
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奇麗な南国の花も咲いている。
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チャンドニー・チョークの方角にはレッドフォート、赤い城塞も見える。
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この巨大なモスク、ジャマー・マスジットが400年ほど前にムガール帝国第5代皇帝シャージャハーンによって造営が着手された頃、インドは当然ムガールの占領下にあり、ムガール自体も最大の版図を抱えていた。それまでの王都アグラからここデリーに王城を移し、ラールキラー、レッドフォートを新たな居城としたが、歴代皇帝はその王城からここジャマー・マスジットへ毎日礼拝に来ていた。最大の権力者が、見晴らしの良いやや小高い土地にこの巨大なモスクを造ったのだ。殆ど山や丘のない平地状のデリーに於いてここからの眺めは抜群であったに違いない。現に50段程の正門階段の上からは、ラールキラーの王城も見えるのだ。

モスクを出る際、入った時に着用されたスカートがフリーかと思っていたら、クリーニング代を請求される。それも全くバカげた金額で、最初は5ドルと言ってきたが、3ドルに負けさせ、投げるようにして城門を出た。クリーニング代を払わないと、サンダルを返してもらえないので、やむを得なく払ったのだが、これが敬虔なモスレムのやることかと。全く雲助のインド人だ。この街で3ドル、300円も払ったら豪華な夕食が食べられる程の金額だ。バンコクの王宮に入る際も短パンは不可で、入り口で長ズボンを貸してくれるが、そこでは無料だった。タイとの民度の違いか。尤も王宮の入場料は、こことは比較にならない程高額だったが・・。

インドとかフィリピン、貧しい国の雲助は阿漕だ。お金を取るまでは絶対に諦めない。以前ベラナシの火葬場(ガート)の直ぐ横に建っている無人の古いビルに写真を撮るために入ったが、出るとき、10ドル、自分が日本人と分かっていたのか、ドルがなければ1000円払えと! 全くバカげた話で、この点に関しては絶対に譲らない。強硬ずくでも取り立てられた。同じ貧しい国でもミャンマーとかラオスカンボジアではこのようなことはなかったが、インド人、フィリピン人は国も貧しく、且つ、人間もスレているのだ。貧困と背中わせの必死さがあった。マニラの観光地では何回か随分怖い目に遭った。連中は頭にくると、いつズドンとやり兼ねないので実際に怖かった。

さて、正門の長い石段を下り、ごった返すように人で溢れている門前市を人々にぶつからないように注意して、大通りに向かう。以前ごった返したニューデリー駅構内で、ポケットに入れていたデジカメがいつの間にか抜き取れたこともあり、そうしたスリには注意した。ショルダーも身体の横から前のお腹の上にぶら下げ、抜き取りに気を付けた。貧しい国の人々、ドロボーは当然の権利と思っているのだろう。珍しい土産物も目に付いたが、長居は無用だ。お踊りに出て、タクシーを捕まえ、ホテルの途中にあるコンノート・プレイスで下車した。孫から絵葉書を送ってもらうよう、母親を通してお願いされていたので、郵便局へ立ち寄る必要があったのだ。



モスク正門の石段には沢山の店が出ている。例大祭には大変な数になるだろう。
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門前市はバラックの店舗が犇めいている。
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果物、生鮮野菜なども売られている。青空市場のようなものか・・。
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又腹痛を心配し、飲み物、食べ物には手を出さなかった。
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