ちゃおチャオブログ

日々の連続

トルコ史跡巡りの旅(38)イスタンブール・「アヤ・ソフィア聖堂」

ボスポラス海峡に沈んでいく西日。
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霧でこんな夕方のように見えるが、まだ午後の時間はそう遅くはない。
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これから世界遺産「アヤ・ソフィア」に向かう。
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嘗てはギリシャ正教の総本山、その後、イスラムのジャミー(モスク)になったが、今は博物館として公開されている。
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「ソフィア」とはギリシャ語で、「叡智」を意味するが、四谷にある「上智大学」は英語では「Sofia Univ.」と表記される。
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イスタンブール旧市街のほぼ真ん中辺りにこの当時世界最大だった嘗てのキリスト教寺院「アヤ・ソフィア」がある。細い路地の様な坂道を上り詰めると、急に広々とした広場に出るが、そこは「アヤ・ソフィア」の前の広大な広場だ。15世紀中半、この町がオスマン帝国に奪われるまでの約千年間、ここは東ローマ帝国の帝都であり、キリスト教徒の地であった。数次にわたる十字軍遠征にも掛からわず、勃興するイスラムの勢力を抗すべくもなく、15世紀中葉この町はあえ無く陥落した。

それまで「聖ソフィア寺院」と呼ばれていたこの世界最大のキリスト教大聖堂は、この時以降イスラム教のモスク「ジャミー」に変更させられ、内装等も替えられ、名前も「アヤ・ソフィア・ジャミー」となった。コンスタンチノーブル陥落時、多くの市民がこの教会に逃げ来たが、攻撃船を陸揚げして金角湾(Golden Horn)に入り込んだトルコ軍は、メフメット二世皇帝の猛攻に耐えられず、遂に陥落し、約6万人からの市民が奴隷の身に落とされた。この情景はギボンのローマ盛衰史にも詳しく記載されている。

確かに大きな寺院だ。今は博物館になっていて、イスラム教徒以外に誰でも自由に中に入ることができる。今はバチカンのサンピエトロ寺院が世界最大の聖堂になっているが、そこが出来る前まではここが最大の聖堂だった。700年を越える石の聖堂。これ等の石材は数日前に見て来た小アジアの寺院、エフェスのアルミテス聖堂(七不思議)等から運ばれたものと言われる。天井の高さが50mを越えている。東京ドームに匹敵する高さで、ビルで言えば10階以上だ。

2階に通じる階段は螺旋状になっていて、当時、メフメットは馬で駆け上ったという。2階の見晴らし台から正面の聖母子像も嘗てはイスラムにより漆喰で塗り固められていたが、近代になって復元されている。ユステイ二アスとコンスタンティヌス。長き1000年のギリシャ正教の総本山だった当時が偲ばれる。嘗て、第一次大戦後のことであるが、イエーツがこの町を訪れ、ここはローマよりも美しい町だ、と、賛美する詩を作っているが、硬い石面に響く靴音を聞きながら、そんなことを思った。
 
 
 
 
内部が巨大な聖堂に驚く。天井は50m以上の高さだ。
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巨大な空間ではあるが、地盤の移動により、中心が少しずれている。
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巨大なドームで、世界遺産に値する。イスラムはよくぞ、残しておいてくれたものだ。
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同行の三郷さん、黒旗さんと。
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1000年を越える長い歴史を十分に堪能した。
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