ちゃおチャオブログ

日々の連続

イベリア周遊の旅(73)リスボン、サンジョルジェ城。

サンジョルジェ城はリスボンのヘソのような場所にある。
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砲台も幾つか残されているが、どれ程実用的だったのか・。
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ムーア人、スペイン軍とのこの城の攻防戦もあったのだろう・・。
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この城の中央部、日本の城で言えば本丸に当たる部分には、更に強固に造られた城壁がある。
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ここがサンジョルジェ城内の王宮跡で、最も頑丈に造られている。
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容易に攻め落とせるものではない。
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城壁の上は回廊になっていて、四隅にはポストが作られている。
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サンジョルジェ城と言ったら、世界に一つしかない、ここリスボンのお城を指すことには間違いないのだが、自分自身サンジョルジェ城と聞いただけではピンと来ない、一体どこにあるお城だろう程度の認識しかなく、後でこの城を思い出す際、「リスボンの」と地名を明記した。実にこの城はリスボン市街の中心地にあり、謂わば街のヘソのような位置にあって、お城の高台からはリスボン市内の360度、あらゆる方向を見渡すことができる。

初代ポルトガル王、アルフォンソ1世時代には、このお城に王宮を構え、城上から市街地とその先の港、テージョ川を見渡していたであろうが、何時の頃からか、丘の上の城での生活は不便になり、リスボン市内の平地に新たな王宮を作ることになったのだが、それは恰も日本の戦国時代には、戦闘の優位性を考えて山の上に作られた山城も、戦国時代も終焉し平和な時代になってくると、山城は形としては残しておいても、普段の生活は平地でするようになったのと同じ発想だ。

このお城の四方には古びた形の大砲が据え付けられているが、それは相当古い形のもので、去年マカオの山城、モンての砦に置いてあった大砲と同じようなもので、以前は実用されたのかも知れないが、今では観光客へのアトラクションの役目しかないもので、この城が嘗ては王城であった、との一つの証になるものだった。このお城の最奥部、日本の城で言えば本丸か天守閣に当たる部分だが、凡そ500坪程の敷地は、より頑丈な城壁に囲まれ、その幅広の城壁の上は歩哨回廊のようになっていて、この本丸は強固な造りで、容易には陥落されるものではなかった。多分、この本丸の中心が嘗てのポルトガル王国の中心で、アルフォンソが国政を指図し、日常生活で起居していた空間と思われた。

このお城の中には博物館も併設されていて、紀元前数百年前のローマ時代の遺物、割れた食器や飾り品などが展示されていた。近世ポルトガルレコンキスタが始まった12世紀以降になり、ここリスボンも王都がコインブラからこの町に遷都された13世紀後半以降に現代の発展、繁栄を見るが、それ以前のイスラム教徒がこの町を支配したそれよりもずっと以前には、この町はローマ帝国支配下、植民地であって、伝説によれば、ギリシャ神話の英雄オデッセイにより、町が築かれたとも言われている。小さな博物館には雑多な考古品の展示しかなく、殊更目を惹くようなものは見当たらなかったが、それでもこの町の成り立ち、歴史を知るよすがともなった。



日本の天守閣よりは余程か頑丈で、戦略的だ。
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哨塔の上にはポルトガル国旗が翩翻と翻っていた。
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難攻不落の名城だったに違いない。
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見事な石の城を見た。この城に比べたら沖縄の中城など物の数には当たらない。
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この本丸天守閣の前にはアルフォンソの座像があった。1世か3世かは分からないが・・
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城内には博物館も併設されていた。
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紀元前のローマ時代以来の遺物、骨董品が展示されている。
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