ちゃおチャオブログ

日々の連続

モラエスの故地を訪ねて(26)聖ポール大聖堂跡とその前の大三巴通りの賑わい。

セナド通りから聖ポール大聖堂に向かう小路は沢山の観光客で溢れかえっていた。
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聖堂までの約100mの小路の両側には、干し肉(ジャーキー)の土産店がびっしり並んでいた。客と売り子の掛け声がけたたましい。
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雑踏を通り抜け、漸く正面に大聖堂が見えてきた。石の階段には大勢の観光客が座している。
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大聖堂の石段から干し肉天蓋を眺める。沢山の人が沢山の買い物をしている。
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どこかで見たような石段。既視感のある場所だ。ここへやって来た人も皆同じようにそう思い、石段に座しているのか・・
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セントポール大聖堂、中国語では「大三巴」と呼ばれるが、これは多分「大サンポー」の中国当て字だろう。ひらがなカタカナの無い中国では外国語を自国語漢字に変換するのはかなりの難作業だが、「ポルトガル」を「葡萄牙」(ポルガ)としたのはまあ穏当だ。その聖ポール寺院、中国名・大三巴牌坊へ向かう4m程の湾曲した路地は、寺院までの凡そ100m程の範囲、両側に「干し肉」店が、ぎっしり並んでいる。ここは大三巴通りだ。英語で言えば「ビーフジャーキー」だが、ここでは牛に限らず豚やイノシシ、その他のシシ肉を乾燥させ、平べったい肉の煎餅のようしてパックして、土産用に売っている。当方もこれからまだ先、旅行が無ければ土産で買って行きたいところだが、まだ先1週間は旅が続く。

しかしそれにしても凄い数の観光客だ。沢山の人で溢れかえっている。中国国慶節の連休で、大陸から中国人が大挙して押し寄せているのだ。バク買い中国人。路地の両側に数十店並んでいるジャーキー店の売り子の声と入り混じって、何種類ものシシ肉を試食ては、あれが良い、こっちが旨い、と中国語が飛び交っている。年の瀬のアメ横みたいな賑わいだ。毛沢東も言っていたが、人口の多いのは力だ。店先に何段にも積み上げられていたジャーキーのパックは飛ぶように売れていく。一体、この人達はマカオまで観光に来たのか、この「干し肉」を買う為にやってきたのか・・。そんな思いで喧騒の中を大聖堂に向かって歩いて行った。

トレビの泉ではないが、どこかで見たような石の階段とその上の寺院のファサード。多くの人がその石段に腰かけて語らいでいたり、そのファサードをバックに記念写真を撮ったりしている。ここがこのマカオ最大の観光スポット、「大聖堂跡」だ。この石段の長さ、大きさから言って、当時は相当規模の大きな寺院であったに違いない。ザビエルがこの地で亡くなり、後年モラエスもやってきて、祈りをささげたに違いない大教会。ここが中国の地ではなく、ポルトガルの領土だったのだ、との唯一最大の証のごとき、サンマルコ、いやサンパブロ大教会。嘗ては東アジア一帯に覇を唱えた葡国の最大の精神的拠り所がこの教会であった。さて、自分も「靴を脱いで」参詣に向かおう。



石段の上部から再び下の商店街を眺める。ここは中国語で「大三巴街」と呼ばれている。
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ああ、それにしても圧巻だ。多人口は力なり・・か・・
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さて、大聖堂に入ってみよう。
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ああ、この大聖堂は正面のファサードしか残っていないのか・・
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MATER DEI.生母マリア様。サンタマリアだ! ポルトガル人、スペイン人の大好きな聖母様だ。この狭き門より入るべし。
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