ちゃおチャオブログ

日々の連続

ボロブドールへの3日間(10)ボロブドールへ到着。

国道から枝分かれして、ボロブドールの集落に入ると、最初に目に入ったのが、古い仏教遺跡。
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インドの卒塔婆のような大きな石塔だ。
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それから暫らく進むとボロブドール遺跡の正面に出る。真っ直ぐがインドネシア人専用ゲート。左手が外人専用となっている。外人専用は24万ルピアとバカ高いが、入ると直ぐにWelcome Drinkがサービスされる。
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ボロブドール遺跡の前は広大な広場公園となっている。ここからは遺跡はまだ見えない。左手が管理事務所。
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管理事務所に前にあった案内板。
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さて、これから遺跡に向かって歩く。約800m-1キロ先だ。
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遺跡の前庭は綺麗な公園広場になっている。
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空港から30分程かけてジョグ市内を通り抜け、それに続く周辺の町を通過し、国道から左の県道に入ると、途端に田舎の風景に変わり、田んぼや畑、ポツンポツンと立っている住宅やら、それに混在するように、観光客相手の土産ショップなどが見えるようになり、その先に仏教遺跡が見えて来た。それは大きな石塔で、タイとかミャンマーでは余り見たことのないような形の石塔だが、インド本国では良くある形のものだった。

成程、この国の人達が、自分達はインド人の末裔だと思っている背景には、こうしたヒンドウ・仏教遺跡があるからに他ならず、嘗て、この国がイスラムに席巻されるまでは、ヒンドウ・仏教国だったのだ。強大な国力は、この国を起点として、マレー半島、クメール(インドシナ半島)まで及び、それ等の地域を支配下に置いていた。今この国からは、バリ島を除いて、ヒンドウの名残は跡形も消えてしまっているが、10世紀以降、イスラムが東漸してくると共に、そうしたインド的な文化は段々と消え失せ、記憶の中からも抜けてしまった。モスレムとヒンドウ、敵対する同士の宗教で、現にモスレムが支配的となれば、過去の残滓を取り除こうとするのは、自然の流れだった。

運転手からこの仏教遺跡に寄ってみるか、と言われたが、当方としては先ずはボロブドールを先に見たい。その為にわざわざ高いお金を払ってここまで来ているのだ。何はともあれ、ボロブドールを見た上で、その後、時間的余裕があれば立ち寄れば良い。そう思い、車を先に走らせた。

ボロブドールはアジアの誇る世界の史跡だけあって、その駐車場はバカ広い。と言っても舞浜にあるデズニー程の広さは無いにしても、幾つかの駐車場に分かれていて、合計すれば数千台の駐車も可能だろう。ドライバーは施設の出口の方を指し示し、当方に1時間~2時間の観光時間を与え、その出口付近で待っている、と言い、当方を入場ゲートまで案内してくれる。

ゲートはインドネシア人と外人用の入り口に分かれていて、外人は24万ルピア、約2500円! ほー・・、随分良い値段を取っている。20数年前から京都、奈良の自社でも拝観料を取るようになったが、日本ではどこにもこんな高い料金を取る寺社はない。精々高くても1000円どまりだ。少なくとも自分が知る限りでは。あの中国ですら、五台山の景観地区に入る入域料が確か1500円程度だった。
 
うーん、ここまで来て、値段にびっくりして引き返すわけには行かない。こんな風に外人からぼっていれば、道路も公共施設も立派なものになるに違いない。ちなみに、隣のインドネシア人専用のゲートを見てみると、僅かに3000ルピア、即ち30円だ。元々の物価水準などこの程度なのだろう。

そんな複雑な思いをしながら寺域に入る。広々とした公園状の敷地が続いている。良く手入れもされている。圧倒的にインドネシア人が多いのだが、外人もちらほら見える。飛行機の中では殆ど見かけなかったが、バスで来たり、列車で来たり、ツアーで来ていたりするのだろう。そうした広場を500-600m歩くと、見えた! 前方に石造りのピラミッドが見るではないか! ボロブドールだ。
 
 
 
 
遺跡に続くメインストリートだ。
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あ、前方に塔の先が少し見えて来た!
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人々は何かを噛みしめるように、そぞろ歩いている。ここは人々にとって、いまだ聖地なのだ。
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丁度遺跡が正面に見える場所に「世界遺産」のプレートが掲げられていた。
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うーん、あれが夢見ていたボロブドールか!
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わー、これは凄い! アンコールワットにも感動したが、ここはそれ以上かも知れない。
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圧倒的な石のスピリット!
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