ちゃおチャオブログ

日々の連続

奥多摩・日向和田(1)春の里山、吉野梅郷。

青天の土曜日、今日は久しぶりに奥多摩まで出る。
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日向和田で下車し、吉野梅郷まで行って見よう。
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多摩川に架かる神代橋からの眺め。駅から200m程、ここまで来るのにも大変だった。
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橋の上で欄干にもたれ、一休みする。
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痛みがひどく、どうにも足が前に進まない。ブロック石等に腰かけ、休み休み前に向かう。
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駅から約1キロの道、何回休んでは又歩き始めただろう。
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30分以上かけて漸く吉野梅郷に着いた。
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いつもは知人の車に乗せてもらって八王子城址公園の本丸跡までを往復するのだが、今日は知人の予定が付かず、電車で高尾まで出て、高尾山を歩く積りで9時過ぎに自宅を出る。駅に着くと偶々次の電車が青梅行で、では久しぶりに高尾ではなく、奥多摩を歩いてみよう、と、この電車に飛び乗る。

さて、青梅に来てみて、どこへ行くかはまだ決めていない。奥多摩線は接続が良く、10分程度の待ち合わせで直ぐにも発車する。終点の奥多摩まで行くか・・、途中の御岳で下車し、神社まで行くか・・、手前の白丸で鳩ノ巣渓谷をあるくか・・。まだ尚脚力に自信が持てず、一番安直な吉野梅郷のその後を見に行くことにした。

青梅がその市名に採用しているように、ここは梅の名所、梅郷だ。奈良の吉野とどういう関係があるのか知らないが、ここは昔から吉野村と呼ばれ、多摩川沿いに吉野海道も走っている。青梅から奥多摩まで鉄道が敷設されて以降、多摩川の東岸も発展してきたが、この吉野海道は江戸時代以前からの街道だ。平野部が多く、そうした地の利を生かし、江戸時代からこの地区では梅の栽培が行われてきていた。

梅の開花の最盛期、この吉野梅郷へは何回か来たこともある。小高い斜面に数千本の梅の木が植えられていて、将に全山梅の山。近くへ来るだけでも花の姿は見えなくても馥郁な香りが漂ってきた。その梅林が、害虫が派生したとのことで、去年の5月、全木が伐り倒され、伐採されたのだ。その状態を見て置くのも、何かの為にはなrだろう。

JRを日向和田の駅で下車し、吉野梅郷に向かって歩く。歩き始めてから直ぐにも下肢に違和感を感じる。まだ多摩川に架かる橋の手前、数百mも歩いていない。どうした事情でこうなるのかは、自分でも分からない。兎も角どこかで休みたい。大腿部から下の裏側の筋肉の痺れと痛み。大腿・下肢を触ってみても、筋肉が強直している様子はない。ただ痛みだけが走る状況だ。丁度橋にかかり、橋の欄干にもたれ掛り、眼下の多摩川を眺め、足の痛みを緩和する。

少しは歩けるようになり、又暫らく進むが数百mも歩かない内に直ぐにも痺れと痛みが走りだし、堪え切れずに民家の駐車場のブロックの腰を掛け、一休みする。幸いにカメラを手にしていたので、近くの雑草や付近の景色など撮影する振りをして、怪しまれないようにする。吉野梅郷までの約1キロの道、こうした休んだり歩いたりを繰り返し、30分以上もかけて漸く到着する。こうした時、持ち運び可能な簡易の椅子など持っていると、楽かも知れない。

吉野梅郷は予想通り「ハゲ山」だった。木が数本残ってたが、それは山茱萸のようだ。梅も桜も1本も残っていない。こんなハゲ山でも市は「梅祭り」をやっていて、車で来る人など殆ど無い中、交通警備のガードマンが何人か出ていた。屋台も何軒か出ていたが、今日の好天の土曜日とはいえ、閑古鳥しか鳴いていないだろう。受付もあって、案内状から絵カギが配布される。まあ、それを眺め、例年の賑わいのよすがともしよう。




市の方では今年も又梅祭りを開催しているが、梅の木は1本もなく、山茱萸が黄色の花を付けていた。
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以前からあったが、こんな場所に沖縄料理の店がある。
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吉野梅郷のちょっと先、ゴルフ場の手前に沖縄料理「郷陽」があるが、梅見客は殆どおらず、店も開店休業の状態だった。
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その向いにある住宅。いつ頃まで住んでいたのだろう・・。家人の楽しげな声が聞こえてくるようだった。
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主人は無くとも、ボケは毎年咲いている。
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いつ植えた花なのか、春になればこうして毎年同じ時期に花を咲かせる。
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クロッカス。花を慈しむ家族であったに違いない・・
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