ちゃおチャオブログ

日々の連続

ルソン山紀行(20)バナウェイの棚田風景。

6時半、世界遺産バナウェイに着き、先ず朝食を済ませてから、直ぐに棚田を見に行った。
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棚田は深くずっと谷底まで続いている。
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見事な自然遺産だ。
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更に高みに登る。
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棚田はどこまでも続いている。
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地元のイフガオの娘さん。今日はこれからお祭りがあるようだ。
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ルソン北部、イフガオ州の山中、キアンガンまでやってきた。山下軍団がマニラを追われ、全く且つ見込みのない絶望的な戦いの中で、将兵の人的犠牲を強いることにより、1日でも多く米軍をこの島に釘付けにし、日本への侵攻を1日でも先に延ばそうとする、将に捨て石、捨て駒作戦だった。こうした敗残兵の劣悪な環境の中で、将兵の多くは実際の戦闘で死ぬよりも、マラリヤ、栄養失調等の餓死で死ぬ者の方が多かった。既に戦いは破綻していた。

キアンガンの平和公園の高台に立ち、山下将軍の故郷大豊町を思い、彼も又この高みから眼下を流れる渓谷を眺め、どう思ったかに思考を巡らせたが、殆ど何も浮かばなかった。陸士、陸大を優秀な成績で出た職業軍人に取って、これまでの教育、概念の中で日本が敗北するとの想定はなく、最後は神風が吹き、神佑の駕籠で最後は勝利する、と信じ、部下を叱咤激励し、犠牲も厭わず、こうした困難な逃避行の末、初心貫徹、国家は既に白旗を揚げ敗戦したが、わが軍、14軍は尚戦い続けている、というアナクロニズムで山中を彷徨っていたに違いない。この集落にはもう用はない。明日は次の訪問先、バナウェイに行くことにした。

ラガウェイ、バナウェイ、似たような名前だが、これがイフガオ語なのだ、ラガウェイからバナウェイ行きのバスは日に数本しかなく、1番のバスは5時15分。昨夜夕食を食べた大通りの食堂の前から出る。4時に目を覚まし、洗面し、そのままロッジを出て、暗い中、バス停に向かう。マニラかバギオか分からないが、どこか遠方の大都市から夕方出た夜行バスが、未明にこの町を通過し、早朝バナウェイに到着するのだ。ここからバナウェイまでは1時間少し。6時半には到着した。

アーバスの乗客は10数人。白人は少なく、フィリピン人を含めた他のアジア系が半数以上だ。日本人はいなかった。到着場所の近くには小奇麗なインフォ―メーションセンターがあり、この時間でも既に開いていた。ホテルとか日帰りツアーを斡旋してくれる。近くには又食堂も2軒ほどあり、取り敢えず、朝食を食べることにした。マンゴーとコーヒーをプラスして120ペソ。兎も角、棚田を先に見て、この町に泊まるかどうかは、見てから考えることにした。

案内所の前に待っていたバイクタクシーに200ペソで棚田の良く見える場所まで行ってもらた。ここから国道を更に300m程登った先が、一番見晴らしの良い場所。そこからの眺めは本当に見事だった。入り組んだ斜面が何段にも亘って耕作され、綺麗な田圃になっている。これだけの棚田を作るのに、人々は何年かかっただろうか・・。稲作がこの国に齎されて以来、2000年の長きに渡って、営々と耕され続けて来た。以前バリ島でも同じ様な棚田を見たが、その規模と言い、谷の深さと言い、ここに勝る所はない。谷の底までは1500m以上、「天国への階段」と言われる由縁だ。見事としか言いようの美しさだった。



当方も棚田をバックに1枚。
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うーん、ここはバリ島に幾つかある棚田よりは規模も深さも格段に大きい。流石に世界遺産だ。
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これは見事な棚田としか言いようがない。
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古老もこれから祭りに行くのか、皆着飾っている。
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お洒落なおばあちゃんだ。
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皆さんとの記念写真。
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