ちゃおチャオブログ

日々の連続

台湾・高雄の4日間(20)台南駅前の風景。

台南駅前の大通りに咲く鳳凰
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駅付近には古い日本風の建物の一角も残っている。
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駅前には戦前からあるようなビルも残っている。「HOTEL TAKATA」と出ているが、漢字を見ると「高玉」。これは完璧に日本語読みだ。
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駅前広場。奥に台南駅とその前の日本人風の銅像
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ああ、駅北の高層ビルもこんな風に見える。
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台湾は歴史の浅い国である。明治末の日本統治以前の台湾にどれ程の歴史、文化があったかは、自分は知らない。歴史的に言われてきたことは、台湾は猖獗の地で、人の住む所ではない、と。明治の始め、沖縄が廃藩置県により、それまでの琉球国沖縄県になった直後、沖縄の漁民数人が台湾沖で遭難し、台湾に漂着したが、彼等は台湾原住民に殺害されてしまった。その時日本政府内で、台湾討伐、占領、日本国組み入れの動議が沸き起こったが、大久保利通等の反対により実現しなかった。その時台湾を日本国に組み入れていたら、今頃はどうなっていたのか、興味深い処ではある。

その後日清戦争に勝利した日本は、台湾を正式に併合することになったが、当時の清国からしてみれば、台湾などは化外の地で、自国の王朝を守ることに汲々としていた清国にとっては、どうでもよいことだった。それから日本政府による台湾統治がスタートしたのだが、日本政府はいろいろなインフラを整え、民度を引き上げることに努力し、優れた人物を台湾総督に送り込んだ。日露戦争の陰の立役者、明石大佐なども退役後、総督に就任し、その墓は今も台北市内にあるが、自分はまだ機会がなく、お参りを果たしていない。

台南駅前でバスを待つ間、目の前に見える台南駅なども旧日本時代の建物で、現在の国鉄、臺灣鐡道の前身は、日本統治時代に敷設された鉄道網をそっくり受け継ぐことによりスタートしたもので、現在重文(国宝級)となっている旧台中駅、明日見ることになる旧高雄駅等々、日本時代の遺産は現在も各地に残されてる。ここまで乗って来た中距離電車が韓国デウ(大宇)製だったのは残念だったが、新幹線が日本の技術により建設され、運行されているのは、こうした歴史的背景からしても喜ばしいことだった。

そうそう、臺灣では新幹線のことを「臺灣高鐵(高速鐡道)」と呼んでいるが、これはJRの指導、PRにより「新幹線」と改めてもらった方がよい。「新幹線技術」は世界のブランドで、この「新幹線」という名称と共に、世界の鉄道網に貢献して行ってもらいたい。丁度、フランス地下鉄「メトロ」が世界の言葉になっているように。

駅前広場を眺めていると、ふと、侍姿の銅像が見える。・・誰だろう・・、日本人のサムライ?? 最初は誰か思い当たらなかったが、ああ、そうか、鄭成功だ! 鄭成功はてっきり中国人で、日本人と言う概念が無かったが、考えてみれば、母親が日本人で、佐賀の平戸で生まれ育ち、成人してから台湾に渡り、独立国家を作ったのだ・・。しかしこの着流しのおっとり刀は、どう見ても鄭成功の勇猛果敢な史実とは似合わないが・・。これも又台湾当局台南市職員の歴史認識の欠如、自国の英雄鄭成功に関する無知の表れのひとつだろう。こんな姿の銅像を見たら、誰でも日本の江戸時代の旗本退屈男を想像してしまう。尤も、臺灣の一般市民が鄭成功について、どれ程知っているかは、自分には分からないが・・。




ああ、このサムライの銅像は誰だ?? ああ、そうか、鄭成功だ!
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駅前のバス発着所。ここは南站停留所で、本来は向いの北站で待つべき処、バスは中々やってこなかった。

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バス停前のパーラー、回転すし店。日本食がこの町でも流行っている。
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これからバスに乗って安平古鎮へ行く途中に見た警察署。日本時代を思わせる。
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安平古鎮にやってきた。
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