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日々の連続

御巣鷹慰霊登山の旅(9)群馬県上野村。川の駅~慰霊の園~御巣鷹の峯へ。

上野村に入る手前、沢の反対側の斜面には、現代風な住宅が見えて来た。この場所に代々、何百年と住み続けて来た家族に違いない。
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上野村にある道の駅ならぬ「川の駅」。
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上野村集落の中程、切り開いた台地上に慰霊塔があった。
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各地から車でやってきているが、バスでの団体もいた。
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当方も列の後ろについて、瞑目する。
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この峠道がいつの頃から出来ていたのかは知らない。現在ただ今車でぶどう峠から下り降りている場所は、多野郡上野村。もう少し下ると、上野村落に出るが、その手前で左手方向の十石峠から下って来る国道299号線、所謂、武州街道とぶつかる。大利根の源流の一つ、神流川の本流は、そちらの十石峠の方から流れ出ている。甘楽郡だ。古代、続日本記にも出てくる古い地名かんら(甘楽)だ。この辺りが上毛野・下毛野に分かれる以前の毛野、野国の時代からある古い地名だ。古代人は利根の水運を利用して、こんな山深い、山奥の地までやってきて、住み着いた。

「毛針使用のこと、釣り餌禁止」、の立て看板がコーナー毎に出ている渓流沿いに下って来て、村落に出る手前辺りから、谷の反対側斜面にぽつぽつ住宅が見えてくる。どの家も現代風な文化住宅で、古めかしい藁屋根の家などは皆無だが、だが、今もそうしてそこに住み続けている家族は、もう何代も前から、江戸時代よりももっともっと以前から、そこの場所に住み続けて来たに違いない。代々何を糧にして生活してきたのか、想像もできないが、この山奥の集落で、冬は相当雪深く、人々はどんな生活をして、冬を乗り切ってきたのだろうか・・

集落の入り口、ぶどう峠から下りて来た県道124号線と、十石峠から下ってきた国道299号線が合流する地点に、道の駅、ならぬ、「川の駅」がある。流石に利根の水運の終着点だけのことはある。御巣鷹の慰霊碑を目指してここまでやってきたが、場所が良く分からない。取り敢えずは「川の駅」に立ち寄って、今いる位置をを確かめなくてはならない。ついでにトイレも借りることにしよう。

地図を確かめると、慰霊塔はここから直ぐの場所、村落の中のお寺の上の台地にあるようだ。5-6分車を走らせてその場所へ行くと、名古屋とか大阪ナンバーの車が何台か駐車していて、バスでやってきたらしい一団が列を作って慰霊塔にお参りしている。ピラミッドを鋭角にしたようなモダンな感じの慰霊塔だ。しかしどうも御巣鷹のイメージとは違う、何か違和感がある。案内板を良く読むと、ここは財団法人「慰霊の園」が運営する慰霊塔で、実際にジャンボ機が墜落した御巣鷹の峯は、今我々が下って来た峠道ももう一度戻り、そこから更に20キロの山道を上野ダム沿いに登って行った所にあるという。ここまで来て、実際の墜落現場へ行かないで、引き返す訳には行かない。運転役の稲田さんにお願いして、今来た道を再度戻ってもらうことにした。

再び「川の駅」の前を通り、ぶどう峠に向かって県道を登り、暫らく走って左折して山道に入るが、この先に東電管轄の「上野ダム」があり、道路事情は素晴らしい。今まで走って来た県道よりも綺麗に整備されている。上野ダム発電所を過ぎると、一般的な山道に入るが、それでも舗装はしっかりしている。毎年多くの慰霊者が訪れるので、県も財団法人も道路管理はしっかりしているに違いない。県道分岐から20分程走った終点に、前後30台程は止められる駐車場があり、ここから峯までの慰霊の登山が始まるのだ。



右手奥には、大きな観音菩薩像がたっている。後方の山が御巣鷹で、ここからも遥拝できるようになっていた。
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ここまで来て帰ることは出来ない。墜落現場の御巣鷹の峯に向かうことにした。
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慰霊塔から車で25分、御巣鷹の峯の麓の駐車場にやってきた。
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既に12時を過ぎていたが、近くに食堂も無く、そのまま登山を開始することにした。
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登山道入り口には、入山者を数えるカウンターがついていた。入山時1533番だった。
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