ちゃおチャオブログ

日々の連続

御巣鷹慰霊登山の旅(11)御巣鷹の峯「昇魂之碑」・「慰霊碑」。

御巣鷹登山口から約45分、雑木林が開けて、200坪ほどの急に明るい陽平地に出た。その正面の一団高くなった場所に「昇魂之碑」があった。揮毫は当時の上野村長、黒沢丈夫氏。彼は名前の通り、97歳まで生きた。
イメージ 1



この碑を50m程登った先に、山小屋風の霊安室があった。小屋は30年経ち、中半朽ちかけている。
イメージ 2



中には、焼香もできる祭壇も用意されていた。当方も線香を1本あげる。
イメージ 3



室内には遺族、友人等が奉納したと思われる故人の生前の写真、家族写真、記念品等が収められていた。
イメージ 4



古びた写真には涙を誘うものがある。
イメージ 5






登山口から何回か立ち止り休憩をして、45分、JALジャンボ機墜落現場の御巣鷹の峯に到着した。峯は斜面を削り、200坪ほどの平地になっている。立木も取り払われ、明るい空間になっている。ここへ来るまでの200-300m程の斜面には、あちこち、至る所に座席番号を示す立札が立っていて、いよいよ霊界に近づく雰囲気を醸し出していて、気持ちも引き締まる。が、ここへ来て、急に明るい空間に押し出され、ふっと気持ちが軽くなる。三途の川を渡り、天界に辿り着いたような感じだ。

約200坪ほどの平地の正面が一段高くなっていて、その上に大きな石碑が建っている。「昇魂之碑」だ。事故の翌年建立されたもので、記名者・黒沢丈夫は当時の上野村村長で、慰霊の園理事長だった。彼は戦時中海軍飛行隊長として、東南アジア各地を転戦し、幸運にも生き延びて復員し、戦後出身地のこの上野村で10期40年の長きにわたり村長を務めたが、4年前の平成23年、97歳で亡くなった。この日航ジャンボ機520名の犠牲者と、太平洋戦争時、多くの部下を航空戦闘で失くした御霊とが、彼の心の中で去来したに違いない。「昇魂之碑」。

峯はここから更に斜面を駆け上がるように山頂に向かって続いていて、その途中に今は古びた小屋になっているが、30年前に立てられた山小屋風の霊安室には、焼香台も置かれていて、中には、故人の生前の懐かしき写真、思い出の品々、千羽鶴、記念品等々が奉納されていた。それ等の多くは既に黄ばみがかっていて、長い月日の経過を思わせた。焼香を済ませ、日永田家族の写真を探してみたが、分からなかった。多分、ここには無いだろう・・。一家は既に全滅してしまった。

外に出るとその向いに大きな観音像が立っていて、傍らに黒御影石で作られた慰霊碑がひっそりと立っている。そこには事故で亡くなった520名の乗客乗員の姓名があいうえお順で彫られている。外人の名前もあれば、中国、韓国名の犠牲者もいた。迂闊にも今日まで彼の名前は稗田とばかり思っていた。稗田阿礼の名を引き継ぐ由緒ある家系と思っていたが、いつかの時点で自分の記憶が混同してしまったようだ。刻印を追って行くと、そこには日永田と銘された名前が3人並んでいた。ああ、そうか、この名前だったのだ・・。30年の風月は、名前の記憶すらもあやふやなものにしてしまっていた。

日永田利美、日永田眞佐子、日永田真由美。慰霊者の名前の中程にそれはあった。碑は毎日誰かが磨いているのでろう。昨日彫られたかのように、まだ新しかった。単に知人の自分が碑に触れ、名前をなぞるのは失礼と思った。そっと語り掛け、最後の瞬間を想像した。親子3人、シートベルトに邪魔され、肩を寄せ合うことすら出来ず、汗ばむ手を握りしめ、神仏の加護を願うことしかできなかった。が、運命は非情だった。

彼は半年前熊本支店から東京へ転勤となった。奥さんも本人も熊本出身で、今度のお盆休みが最初の帰省だった。8月12日、熊本行きの飛行機が満席で、已む無く、大阪経由の乗り換えで、熊本へ向かったのだ。幾つもの悲運が重なった。そもそも彼は東京への移動は不本意だった。が、業務命令である以上はやむを得ない。お盆休暇の飛行機満席も災いした。大阪経由の便もいくつかあったのだろうが、偶々この便に乗り合わせた。神の見えざる手。そうした宿命だったのだ。家族3人、一緒に昇天したのが幸いだったかも知れない。

国立大学出身の静かな男だった。すらりとしたスマートさは、彼の心情そのものだった。彼とは深い付き合いがあった訳ではない。仕事も一緒にしたことはなかった。が、何故かしら印象に残る男で、JAL機で亡くなったことを知った時、愕然とした。悪がはびこり、佳き人先に逝く。あれから30年、自分は間もなく古稀を迎えようとしている。日永田さんが今生きていれば、どういった人生を歩んできただろうか・・。自分のような薄汚れた、垢に染まったような生き方はしていなかった筈だ。語り掛けても返事が返ってくる訳ではない。下の広場に吉垣さん稲田さんの二人を待たせている。いつまでも話し続けることも出来ない。もう既に昇天している筈だが、改めて昇天を願い、慰霊碑を後にする。合掌。



小屋の前には観桜像が立っていて、その横に犠牲者の石碑が立っていた。
イメージ 6



稗田さん家族の名前を探す。名前を追ううちに彼の記憶が蘇り、涙がこみ上げる。
イメージ 7



ああ、あった。日永田さん家族だ。3人、続けて並んでいる。最後まで幸せ家族だった・・
イメージ 8



日永田利美君、日永田眞佐子さん、日永田真由美ちゃん。南無妙法蓮華経
イメージ 9



そのすぐそばには、520名の犠牲者の遺品を収めた碑もあった。
イメージ 10