ちゃおチャオブログ

日々の連続

御巣鷹慰霊登山の旅(10)御巣鷹の峯。

入山のカウンターを押して林道に入ると、直ぐにも綺麗な山草が飛び込んで来る。
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ここにも同じような花が咲いている。
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これは又色違いの紫の花弁だ。・・ああ、そうか蓮華升麻か・・。
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10分程登ると、立札があり、遺族の短歌が掲げられていた。「さよならも言わずに逝ってしまった・・」。子息を想う親の哀歌だ。
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この直ぐ後ろには、林間学校の山小屋もある。今日、連休の土曜日だが、誰も来ていない。
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ぱっとしない天気であるが、幸いに雨にはなっていない。この分なら午後一杯は持ちそうだ。駐車場からは御巣鷹の峯も見える。山頂の高さは1639m。この駐車場自体がかなり登った場所にあり、ここから峰までの標高差は約250m、山道の距離にして約2キロ。早登りで約40分、吉垣さんの脚力は不明だが、休み休みゆっくり登っても、1時間程度で登れるだろう。今日の天気を危ぶみ、ビニールジャケットを3枚持ってきたが、この分では必要ないだろう。コーヒーポット1本のみ持って、後は素手で登山開始する。

登山道入り口には入山者のコントロールカウンターが付いていて、3人順番にそれを押して山に入る。1533番から1535まで。このカウンターが何時から計算しているのか不明だが、今月初めからとすれば、今日は19日、1日平均70人から80人程か・・。

登山道に入って直ぐ、深い木立の中を登って行く。林の中の渓流が右になったり左になったり、小橋を2つ3つ渡ると、その渓流も小さな沢の流れになって、上から流れ落ちて来る。野辺の山草。名前は知らないが、純な色を湛えている。自然に咲いているように見えるが、遺族の誰かが植えた蓮華升麻だろう。この山に慰霊に来た家族、友人等の心を慰めてくれるに十分だ。この山草、蓮華升麻は、白と紫の色違いで、亡くなった男女の霊が乗り移っているかのようだった。

脚力を心配した吉垣さんは、当方より元気に急坂を登って行く。聞くと、彼は毎日奥さんと近くの公園で5000歩の歩行をしているとのこと。雨の日も風の日も雪の日も。彼の物事に対する熱心さには改めて感心させられたが、そのお蔭をもって、脚力については、この3人の中では1番かも知れない。当方としてもあらぬ心配をしたものだ。

途中に林間学校の山小屋があったり、沢水を引いた水飲み場があったり、霊水というか聖水というか、山から染み出る岩清水を飲んだりして、小休止しつつ峰を目指す。峰の直下近くに来ると、あちこちに標識が見えて来て、そこには5I,6I、7G,7H,等の表示があって、座席が飛ばされた位置を示しているが、斜面全体に広範囲にわたっている。30年経った今は灌木の陰に隠れたように建っているが、当時はこうした樹木も全てなぎ倒されたに違いない。標識の傍らには、遺族が捧げた霊花や位牌、卒塔婆なども古びた状態で添えられていた。山全体が霊の山。3人は殆ど押し黙り、この斜面を黙然と登り、山頂の峯に到着した。



山頂に近づいてくると、あちこちに機体が散乱し、座席が飛ばされた、その座席番号の札が目に付くようになる。
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機体は峰のあちこちに散乱し、そこには座席番号が掛かれた札が立っている。
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芭蕉が歩いた戦場の跡というのもこんなものか・・
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草花は毎年同じ様に花を咲かせてる・・。
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