ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーテ」モラエスが住んだ町(35)神戸のメリケンパークにて。

阪神淡路大震災の後、神戸港は綺麗に整備されて、今はメリケンパークとなって海浜公園となっている。
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三ノ宮の辺りの街並みも一新されている。
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高速道路も全て一新されている。
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前方のポートアイランドも見える。神戸空港がある方向だ。便数が少ないのか、飛んでいる飛行機は見えない。
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広々とした海浜公園だ。前方にシーターミナル(オリエンタルホテル)が見える。
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自分が神戸に最初に来たのは、今から47年前、22歳の時だった。それは香港からの客船、American Predident Line(APL)のSS.Colorado号に乗船し、この神戸メリケン波止場に上陸した時だった。今から半世紀前の旅行、飛行機での移動は金持ちに限らていて、一般の社会人や学生は客船が主だった。ブラジル移民船あるじぇんちな丸がまだ盛んに太平洋上を往復している時代だった。この時は兄が東京からわざわざこの岸壁まで迎えにやってきてくれた。その兄も今はもういない。

それからは時代が一挙に20年も飛び、当時まだ街のイルミネーションが珍しかった頃、この神戸の「ルミナリエ」は日本では最初の頃の先駆けで、クリスマス前、三ノ宮からフラワーロードを歩いてこの波止場までやってきて、光のトンネルを潜り抜けた波打ち際まで出て、帆の形、貝殻を横に立てたような形のオリエンタルホテルのイルミネーションを眺め、本当に美しい港町だと思った。日本ではまだこの様な大規模な光の饗宴をやっている街はなかった。その後東京丸の内でもライトアップが行われるようになったが、その華麗さ、ゴージャス、光の美しさは、神戸とは比ぶべくもなかった。

1995年、今から丁度20年前の阪神淡路大震災で、この港も大きな被害を受け、明治の初め以来この場所にあり、又、モラエス夫妻も利用していた伝統のホテルは、敢え無く休業となり、今は、この港全体が大きな海浜公園として再開発され、海に面した最先端には、旧来のホテルを3倍も大きくしたようなオリエンタルホテルが再建されて、この港のランドマークとなっていた。経済的に余裕があれば、このホテルにも泊まってみたかったのだが、今は外からその巨大な容姿を眺めるだけだった。

         < 海鳥や 波のまにまに 揺れている >



播磨灘に大きく開けた神戸港
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神戸港のガントリー、神戸製鋼所の辺りか・・。
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今、快速船が入港してくる。
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再建されたオリエンタルホテルは巨大だ。ここは海上ターミナルにもなっている。
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何と言う名前の海鳥か・・。岩壁近くを行き来している。
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