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句碑は以前の俳号「桃青」にちなんでか、桃の木で鬱蒼としていた。・・バナナの木下闇とも思えなくもなかったが・・。
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さて庫裡の前からもう一度一の谷の山上を眺め、寺を後にする。
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この三重塔もこれで見納めだ。
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次にこの直ぐ近くの須磨離宮に向かう。
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はせを。「はせを」とは何、誰? 俳句に興味を持った最初の頃、色々な俳句誌などを読んだりしたが、この「はせを」は最初は誰だか分からなかった。「はせを」→「ばしょう」の事だった。松尾芭蕉は何回か俳号を替えており、最初は実名の宗房で句会などに出ていたが、永らく「桃青」と号し、最後はこの「芭蕉」となった。100年後俳句が世界の文芸に流布されるようになったとしたら、芭蕉は間違いなく世界の俳聖として崇められるに違いない。
芭蕉とはバナナの葉。バナナは平安時代から既に国内で自生していて、この葉から採れる繊維は芭蕉布となって、木綿が栽培される以前には、麻布と共に国内の主な織布だった。今では国内で芭蕉布など織るのは沖縄位に限られているが、芭蕉が生きていた江戸中期頃はまだ身近な存在だったかも知れない。彼が住んでいた深川の杉の戸の傍にも自生してたと聞いている。ひょんな場所、実際、須磨寺の庫裡の前の木下闇の中に埋もれるようにして残されていた石碑の末尾に「はせを」の文字を見て、ああ芭蕉がこんな所に生きている、と思った。石碑を取り巻く桃の木もどことなく芭蕉と見えなくもなかった。
さて、もう一度三重塔を眺め、一の谷の山間を眺め、次に、ここから程近い場所にある「須磨離宮」へ行くことにした。前回この須磨寺に来た時は、時間がほとんどなく、境内も歩かなかったし、ましてや須磨離宮まで足を延ばす時間もなかった。今日は午前中はいっぱい時間がある。最後に須磨離宮に寄ってホテルに戻り、チェックアウトしてから大阪へ行くだけだ。お寺を出て、駅とは反対方向の山側、月見山の方向に向かって歩く。お寺からは歩いても10分もかからない。
< 俳聖や はせをバナナの 木下闇 >
芭蕉とはバナナの葉。バナナは平安時代から既に国内で自生していて、この葉から採れる繊維は芭蕉布となって、木綿が栽培される以前には、麻布と共に国内の主な織布だった。今では国内で芭蕉布など織るのは沖縄位に限られているが、芭蕉が生きていた江戸中期頃はまだ身近な存在だったかも知れない。彼が住んでいた深川の杉の戸の傍にも自生してたと聞いている。ひょんな場所、実際、須磨寺の庫裡の前の木下闇の中に埋もれるようにして残されていた石碑の末尾に「はせを」の文字を見て、ああ芭蕉がこんな所に生きている、と思った。石碑を取り巻く桃の木もどことなく芭蕉と見えなくもなかった。
さて、もう一度三重塔を眺め、一の谷の山間を眺め、次に、ここから程近い場所にある「須磨離宮」へ行くことにした。前回この須磨寺に来た時は、時間がほとんどなく、境内も歩かなかったし、ましてや須磨離宮まで足を延ばす時間もなかった。今日は午前中はいっぱい時間がある。最後に須磨離宮に寄ってホテルに戻り、チェックアウトしてから大阪へ行くだけだ。お寺を出て、駅とは反対方向の山側、月見山の方向に向かって歩く。お寺からは歩いても10分もかからない。
< 俳聖や はせをバナナの 木下闇 >
離宮に向かう途中に豪壮な邸宅がある。
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見ると天理教の敷地だった。
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外からは中が見えないように、連子の柵になっていた。これも又洒落ている。
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歩道橋の上から中を覗こうとしたら、庭木が上手に隠していた。
![イメージ 9](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/c/commodore/20010103/20010103081450.jpg)
関西は天理教が強いと聞いていたが・・。これ程までとは・・・。いずれにしても豪壮な邸宅だ。表の看板には大教会となっていた。
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