ちゃおチャオブログ

日々の連続

「サウダーデ」モラエスが住んだ町(50)須磨離宮公園(旧武庫離宮)。

須磨離宮の正面の歩道橋の上から歩いてきた道路を見る。この先の右手に須磨寺があるが、ここからは見えない。
イメージ 1



右方向には一の谷に繋がる山並みも見える。
イメージ 2



この山懐に須磨寺がある。山は南方系の広葉樹で覆われている。
イメージ 3



月曜日にも拘わらず、須磨離宮公園は開園していた。ラッキー!
イメージ 4



この庭園の正式名称は「武庫離宮」という。確か近くに武庫川が流れていたか・・。
イメージ 5





今現在全国に離宮が何か所あるかは詳しくは知らない。尤も戦後は離宮という名称から御用邸に変わり、天皇家がより国民に近づき、身近な存在となってきている。良く新聞、ニュースなどで報道されるのは、那須や葉山の御用邸で、特に先代の昭和天皇は魚類の研究から葉山の御用邸へはしばしば行かれていたようだ。下田の御用邸がまだ宮内庁の所管になっているのかどうかは知らないが、最近はトンとニュースにも上がらない。当方の地元沼津の我入道にある御用邸は、今上天皇が小中高生の頃よく海水浴に来ていて、陛下には思い出深い場所と思われるが、今では学習院の所管になって、指定海水浴場になっている。以前は地元に帰る際、この御用邸の前を車で良く通り抜けていた。

これから行く須磨離宮公園、戦前は武庫離宮の名前で、天皇家離宮だった。いつの頃武庫から須磨に名前が変わったのかは知らないが、今では離宮ではなく神戸市に下賜された恩賜公園だ。丁度上野や新宿、井之頭が天皇家から下賜され、恩賜公園の名前でその記憶が残されているようなものだ。ここ神戸市では単に「恩賜」ではなく、「離宮公園」としてより高らかな名名称であり、「離宮公園」という名前の付く公園は日本広しと言えど、この須磨にしかない。

8月3日月曜日。月曜はどこでも博物館始め多くの公共施設が休館が多く、ここ須磨離宮も休園を危惧したが、開いていた。何故かここは月曜ではなく木曜が休園日だった。流石、元天皇家離宮だけのことはある。広大な敷地で、歩き回るのも大変そうだ。皇族方だから、戦前とは言えお車で出入りしていたのだろう。正面入り口からは大きな車道が奥の高台の庭園に続いている。それにしても誰もいない。時間は既に10時を回っているが、今日の入園者、当方が最初の一人で、ひょっとして最後の一人になるのではないか、と思える程の静けさだ。この広大は元離宮を独り占めするかの気持ちで、高台の庭園に向かった。


           < 緑陰に ロマンの香り 武庫離宮 >



入り口から奥の高台の庭園に向かって、幅広の馬車道が伸びている。
イメージ 6



入口付近にある珍しい石組。
イメージ 7



馬車道の横の組石案内文。小豆島から運ばれた亀甲石とのこと。
イメージ 8




巨大な亀甲石が斜面に配置されている。
イメージ 9




高台の庭園入口付近には巨大なイチイが自生していた。
イメージ 10