ちゃおチャオブログ

日々の連続

江南周遊(22)「君楽」は「Grand」、のこと。

さて、朝食を終え、ホテルをチェックアウトし、今日の観光へ出る。
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なかなか良いホテルだった。
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ホテルのエントランスもなかなか上品だ。
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ホテルの玄関先に「無錫君楽酒店」は英語で「Grand Park」と書いてある。・・ああ、そうか、「君楽」は「Grand」の音読みだったのか・・。
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ホテルでの朝食バイキングをたらふく食べて、今日の観光へ出かけることになる。最初に行く場所は臥薪嘗胆の越王句践(こうせん)の武将樊噲(はんかい)が中国傾国の美女、西施と余生を過ごした場所だ。随分以前に越の王都、紹興にある句践と樊噲の巨大な史跡墓地を訪問したが、そこは小高い丘陵地の中にあって、季節は5月、山中には合歓の花があちこち満開で、山中の散策を随分楽しませくれた。

その時、芭蕉が秋田象潟で詠んだ俳句、「象潟や雨に西施のねぶの花」、を思い出したが、流石芭蕉、絶世の美女西施と合歓の古来からの結びつきを知ってあのような俳句を成したのか、と感心したものだった。だが、後から考えると、その順番は逆じゃないかと。別に西施と合歓の花が歴史的に結び付けられている訳ではなく、芭蕉は象潟の甘満寺で、満開の合歓の美しさを単純に美女の誉れ高い西施と結び付けて、作句したに過ぎず、後からこの名句を知った中国人が、この紹興の山中に合歓の木を植樹したのではないか、と。今思うと、中国人の習性として、どうもこの後からの植樹の方が正しい解釈ではないか、と思えてきた。尤も、合歓の自生地はこの中国江南地方であり、合歓は芭蕉とは関係なしに、山中に自生したのかも知れないが・・。

処で実は、越の名宰相樊噲が、王句践の愛妃西施と駆け落ちするような形で紹興からこの町無錫に逃げてきて、この地で最後の余生を過ごしたとは、この町にやってくるまで知らなかった。数年前紹興を訪問した際には、句践も西施も樊噲も、皆仲良く紹興の王宮で亡くなり、後年王宮跡に建てられた壮大な歴史公園墓地に一緒に葬られたとばかり思っていたが、無錫にやってきて、樊噲と西施が最後の日々を過ごした離宮跡が今は記念の公園になっているのを知った。二人は紹興ではなく、この地で亡くなったのだ。それが実際の史実なのだろう。

ホテルを出るに当たって、改めて昨夜宿泊したホテルを眺め、写真に撮る。その時、ハタと気が付いたが、この無錫君楽酒店の英語表示がGRAND PARKとなっている。・・そうか、「君楽」は「Grand」の音読みだったのか。日本語にはカタカナとかひらがなのような外国語の単語をその発音に似たカタカナで表記することができるが、中国語にはこのような便利なツールはなく、すべて漢字で音を表現しなければならない。

従って「カナダ」を「加那陀」と表記するのは、まあ分かるとしても、「アメリカ」を戦前の日本のように「亜米利加」と書くんじゃなくて「美国」(メイグオ)と表記したり、「ニューヨーク」を「紐育」(ニューイク)と書いたり、「サンフランシスコ」を「桑港」(サンコン、サングアン)と書いたり、苦労の程は並々ならない。だから中国人は、漢字表示と英語読みを最初から覚えておかないと、読めないし、何の意味かも理解はできない。自分も、昨日このホテルに泊まった時、「君楽」となっていたので、随分優雅な、高貴な名前のホテルと思ったが、それは間違いで、「君楽」は単純に「グランド」という英音を表現する当て字だったのだ。うーん、中国語が又更に難しくなってきた。



さて、今日の最初の訪問は太湖の畔、樊噲と西施が最後に過ごした屋敷跡に行く。
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今は奇麗に整備されているが素園と言うようだ。
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記念公園になっているが、朝早く、訪問者はほとんどいない。
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ああ、何の木だろう・・。大きな木がピンクの花をつけている。
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