ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(45)半世紀ぶりのカルカッタ。

コルカタ駅からタクシーで市内のホテルにチェックインし、外が明るくなってから、朝食兼街歩きをする。道路で寝ている人も多い。
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ニワトリを沢山リヤカーに乗せ、これから市場に向かって行くのだろう。
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この人はバイクで鶏を運んでいる。高そうな鶏だ。
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これから朝の店開きをする人々。
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段々朝の賑わいが出て来た。
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最初にこの国インドに足を踏み入れたのは、今からほぼ半世紀前、学生の頃のことだ。半世紀前の記憶は殆ど残っていないが、それでもボンベイのインド門、タージマハール廟、この街カルカッタの貧困と混乱。その後、ラングーンを経由してバンコクに到着したが、半世紀前のバンコクには無論高層ビルなどなかったが、それでも貧しさの度合いはインドの比ではなく、カルカッタ、ラングーンを経由した者の目には、楽天地のようにさえ思えた。

道端に浮浪者が屯し、道路は埃にまみれ、歩くたびに両の側から幾つもの手が差し出され、眼はうつろで生きる希望もなく、言葉すら発せずただ目の前を人が通れば、機械の反射のように両手を差し出す。立派な身なりをした紳士は、いつもポケットの中に沢山の小銭を入れていて、鷹揚にその幾つかのコインを掌に落とし、悠然と前を通り過ぎる。貰った乞食はそのコインを素早くどこかに仕舞って、直ぐにも又両手を差し出す。恰もその紳士が通り過ぎる前に、もう一度の恩恵に浴したいかの素早さで。死んでいたような目もその時ばかりは、生き返ったかのように。貰えなかった隣の乞食は、更に両手を高く上げて銭を求める。紳士の握る拳に極力近づけたいが為に。

カースト制度の残るインドの階級社会はこんなものかと、現実を見ているしかなかった。乞食は悲哀を感じることもなく、紳士も驕り昂ぶることもない。毎日繰り返されている、日常茶飯事の出来事だ。外国人の若造が、紳士の真似をしても始まらないだろう。敗戦直後の日本の実情を経験したことはないが、多分、こんな感じの混乱状態だったと想像できた。そんな中から日本は立ち上がり、学生の分際でこんな遠くの国まで旅行にきている。乞食や紳士に対し、何をかいわんや。皆、毎日の生活に懸命なのだ。

それから40数年、今年の春先に阪急ツアーでこの国にやってきて、当時と比べかなりの改善が見られたが、それもツアーの上澄の部分があったのかも知れない、今回単身の旅行で、街の裏側まで入り込むことが出来、この国の実相を多少は見ることも出来たが、半世紀前と比べ、相当な進歩、民度の改善は見られたが、社会の基本部分は尚カースト制であり、社会のひずみは最下層の人々に押し付けられているようだった。

コルカタ(ホーラ)駅前でタクシーを拾い、「街中のミニホテル!」と言っただけで運転手は心得たもので、直ぐにも車を走らせ、大きな川、後で知ったが、それはコルカタ東郊を流れる大河フーグリー河に架かる橋を渡り、市の中心部にあるホテル街に案内してくれた。未明の通りは歩く人も無く、ホテルの案内灯だけが明るく通りを照らしている。タクシーは先ず1軒のホテル前に泊まり、「ここはどうか?」と聞いてくる。タクシーを待たせ、フロントに行って部屋を見せてもらう。部屋の割には割高だ。今の時間帯の足元を見られているのかも知れない。漸く3件目のホテルで、値段と部屋がマッチし、チェックインした。1800円。狭い部屋の割には割高だが、今の時間、手を打つしかなかった。まだ部屋には入れないので、ロビーで暫らく休み、外が明るくなってから、早速近くの通りを歩くことにした。



ああ、共同水場で、大勢の人が朝の水浴びをしている。インド的光景だ。
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路上市場の賑わい。こうした光景はタイでもあちこちで見られる。庶民の朝だ。
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これは何か? 生姜かニンニク?
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ああ、バスターミナルへ出て来た。
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さて、どこで朝食を食べようか・・。
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