ちゃおチャオブログ

日々の連続

最悪のインド旅行記(47)タゴールハウスへ。

コルカタ中央公園(モイダン)を後にし、次にタゴールハウスへ向かう。
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公園内には競技場などもある。
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タゴールハウスへは人力車(リキシャ)の荷台に揺られて運ばれる。
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タゴールハウスはこの通りの奥にある。
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行って見たが残念。今日はCloseだ。
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今でこそ日本は多量のノーベル賞受賞国で、アジアの中では断トツの数を誇っているが、アジア初の受賞がインド人だったことを知る日本人はそれ程多くない。湯川秀樹氏が昭和24年に日本人初の受賞者になる、30年以上も前の大正年間に、この国の詩人であり、思想家のタゴールが、アジア人初の栄誉に輝いている。ノーベル賞を得た翌年、タゴールは日本を訪問しているが、それは丁度アインシュタインノーベル賞をもらった翌年、世界一周の旅の途次、日本へ立ち寄ったのと同様、日本人からは大歓迎された。

1914年は大正3年であるが、当時父親は18歳の青年であったが。伊豆の田舎から東京まで出て行って、タゴールの歓迎式典に行ったとのことである。父親とは余り親密な話を交わしたこともなかったが、何かの機会、タゴールが話題に上った時、その話を聞いた。大正ロマンとも言うが、父親も案外ロマンチストな面があったのかなあ、と、普段の日常生活からは垣間見ることも出来ない一面を見る思いがした。

そう、この街はタゴールを生み、育ててくれた街なのだ。先刻マザーテレサのホームを訪問した。この街に来て、タゴールの生家を訪問しない訳にはいかない。インドが誇る二人のノーベル賞受賞者だ。アジアに於いて、インドは日本に次いで多くのノーベル賞受賞者を出している。平和賞などテレサに続き、一昨年も受賞し、二人も受賞している。

自宅はフーグリー河東岸、旧市街地の一角にあるが、中心部にある公園からは少し離れている。歩いて行けないこともないが、今日は朝から既に大分歩いた。そうだ、日本発祥の人力車「リキシャ」に乗って行くことにしよう。「リキシャ」だったら自宅を探し当ててくれるだろう。思い出すに、人力車に乗った経験は殆どない。アジアの多くの国では、座席の前に自転車を繋いで客を運ぶ乗り物、国によって呼び方は異なるが、インドでは「サイクルリキシャ」と呼んで見たり、タイでは「サームロー」、ビルマでは何て言ったか?? サイクルタクシーか?? いずれにしてもこの町では自転車を買って荷台に取り付ける程の経済力もないようだ。多くの乗り物が「リキシャマン」で、人力によるものだった。

タゴールの生家は分かりずらい場所にあるようだ。リキシャマンも通りの人に聞き聞き探し当てが、そこは住宅地の奥まった一角にあり、場所を知らない人では、分かりずらかった。200円程払って人力車をそこで返し、ホームへ入ろうとしたら入口のシャッターが閉じられていて、中には入れない。今は誰も澄んでいないのか・・、或は今日は休館日なのか・・。折角ここまで尋ね当てて来たのに・・。已む無くシャッターの隙間から中を覗くと、手入れの行き届いた綺麗な中庭が見える。正面には煉瓦造りの瀟洒な3階建マンション。ああ、彼はこんな立派な家に住んでいたのか・・。インドの上流階級だ。ごみごみした庶民の薄汚い街中の生活とは別天地の、楽園のような緑のガーデンが目の前に広がっていた。



隙間から庭内を覗く。立派なものだ。
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貴族のような建物だ。子孫でも住んでいるのか、今は、記念館にでもなっているのか・・
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ああ、この銅像タゴールさんか・・。ハウスへは結局入れなくて、戻ることにした。
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再び表通りに出る。
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ああ、この人達はまた何の集まりだろう・・。
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